店の前で暇つぶしに近所の中学生とボードゲーム「アヨ」をする画材屋の店主(右)。アートとアート以外のものの繋がりの手がかりの一例として。イレ・イフェ,2023年9月4日撮影
緒方 しらべ
(2024年4月助教着任)
私はこれまで,ナイジェリアのアートのあり方を明らかにしながら,文化人類学の視点からアートというものについて考察してきました。とはいえ,最初から文化人類学という学問を学んでいたわけでも,研究を続けたいと思っていたわけでもありませんでした。
大学でアフリカ美術史を学んでいた私は,2 年次の終わりに初めてナイジェリアを訪れました。21 世紀初頭のナイジェリアのアートについて卒業論文で書こうと意気込み,地方都市イレ・イフェに10 週間滞在しました。しかし,そこで見たアートの多くはそれまで大学の授業で学んできたアフリカンアートとはかけ離れた「雑」な仕上がりや「コピー」と思えるほど似たような作品の山でした。芸術作品として「洗練」され,「アフリカらしい」特徴的な作品が少ないことにつまらなさを感じ,行く先々で「似たような」作品を売りつけようとしてくるアーティストにいやけがさしました。アフリカンアートの勉強それ自体をもうやめようと心に決めて,2003 年9 月,私はナイジェリアを発ちました。
ところが2023 年9 月になっても,私はナイジェリアでアーティストの仕事場,店,客,知人,友人,家族を訪ね歩いていました。ブラジルの顧客向けにアフリカ的な作品をつくり続ける人,地域住民の需要に応えて肖像画を描く人,プラスチックの廃材を利用して大都市ラゴスでの展示の準備をする人,装飾を施したチェスボードをつくる人,地域のホテルの壁画や内装を請け負う人。彼らの顧客や家族,弟子や先輩や仲間たち,近所の住人や教会のメンバーなど彼らに関係する多くの人たち,そうした人たちを規定する既存の制度や彼らがつくる新たな制度,人に創作を促す感性や感覚,労働を支える身体と信仰。このようなアートとアート以外のものが網のように繋がり,絡み合い,重なり合う様子に注目することがいかに重要であるかに気づけるようになったのは,卒業論文の執筆中に指導教員から得た助言や,修士論文のフィールドワーク以降もナイジェリアの人たちが20 年以上私を受け入れてくださった事実,博士課程で学んだ人類学があったからでした。
芸術やアートと呼ばれる一群のモノや表現活動を研究の対象とするとき,多くの場合,芸術というカテゴリーの中で語ることを通して芸術を所与のものとして扱ってしまったり,展示や紹介を通して作品や作家を取捨選択してしまったりします。芸術の罠ともいえるこの現象は,上述のナイジェリアのアートを初めて目の当たりにした私が感じたように,対象についてある程度知識のある人にこそ起こるものです。それが差別や偏見,誰かを傷つけることに繋がることすらあります。そうした罠に気づかせてくれるもの,視野を広げてくれるものとしてフィールドワークや大学・研究機関での学び・学問があります。広がったと思ったらすぐに狭まってしまう視野であることを肝に銘じて,研究を続けていきたいです。
Copyright © 2010 Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa. All Rights Reserved.