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新任スタッフ紹介 5

数々の「出会い」に誘われて

大川 真由子(2010年10月非常勤研究員着任)

わたしはこれまでオマーンをフィールドにして社会人類学的研究をしてきました。幼い頃から異文化に対して興味はありましたし,小学校の吹奏楽部で演奏したリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」にのめり込んで,指揮者用の楽譜を眺めならまだ見ぬ中東の姿を想像することもしばしばでした。ですが高校時代は人類学という学問が存在することすら知らず,留学を目標に上智大学英文学科に進学しました。そして留学先の米国で人類学に出会い,「自分が本当に学びたかったのはこれだ」と確信しました。同時に受講していた宗教学の授業でイスラームにも関心を抱き,それまでの自分の中での「異文化」が欧米中心だったことを反省したのでした。

帰国後進学した東京都立大学で故大塚和夫先生と出会ったことが,わたしのその後の研究生活を決定づけました。当時は湾岸を研究している人類学者がほとんどいなかったこと,そして親交のあった米人類学者アイケルマンのかつての調査地ということもあって,先生はわたしにオマーンを奨められたと思うのですが,特段のこだわりをもっていなかったわたしは素直にそれを受け入れました。そこからわたしの「隙間産業的」研究が始まります。なにせ日本はおろか,世界的にもオマーンの人類学的研究はほとんどない状態でしたので,研究助成も比較的通りやすく,ほかにオマーン研究者がいないという理由で,実績のないわたしにも執筆や研究会参加の機会をいただくこともありました。オマーンのジェンダー研究からスタートしたわたしでしたが,2000年から2年間のフィールドワーク中にまた「出会い」がありました。滞在先の家族がたまたまアフリカから帰還した移民だったことから,彼らが紡ぎ出す独特の世界に魅了され,オマーンと東アフリカの歴史的関係や彼らのアイデンティティに関心をもつようになったのです。

AA研とは共同研究会に参加する程度のおつきあいしかなかったのですが,2005年に大塚先生がAA研に移られてから状況が変わりました。先生から都立大を去る決断を告知されたときは衝撃を受け,異動先がAA研と知り,指導教官を取られたかのような被害妄想を抱いたものです。その後わたしは博論の指導を受けに,あるいは先生が主宰されていた勉強会に出るためにAA研に来るようになりました。所員が出入りする公共のスペースでときには怒鳴られながらも受けた博論指導は気恥ずかしくもありましたが,今となってはいい想い出です。そして数年後,非常勤研究員としてAA研に所属することになったのも,大塚先生の「思し召し」なのかと思っています。

留学先での人類学との出会い,大学院での恩師との出会い,そしてフィールドでのアフリカ系オマーン人との出会いを通じて現在のわたしがあります。アフリカ系オマーン人のネットワークを追いかけて,すでにわたしはアラビア半島からインド洋に出てしまいました。今後は東アフリカでの調査も含め,総合的な帰還移民研究をめざしたいと思っています。


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