児島 康宏
(2011年7月特任研究員着任)
私は,カフカス諸語,なかでもとくにグルジア語の研究をしています。グルジア語というのは,一般的な知名度こそありませんが,言語学の世界ではそれなりに知られた言語です。ヨーロッパのすぐそばで話されていながら,ヨーロッパの諸言語にはないいろいろな変わった特徴を持つ言語として,つとに言語学者の関心を惹いてきました。
私が最初にグルジア語に興味を持ったのも,そんなグルジア語の特徴の一つ,「能格」がきっかけでした。能格というのは,他動詞の主語を表すために使われる名詞の変化形です。言語学の基礎を学んでいたころ,世界の言語には能格なるものがあることを知り,能格のある言語はどんなものだろうかと,旧ソ連圏に関心があった私がたまたま図書館で手に取ったのがグルジア語の入門書でした。理屈を頭で理解するのと,実際の言語を通して体験してみるのは違うものです。どんな言語でもそうですが,グルジア語にはグルジア語ならではのものの見かたがあり,はじめは不思議に見えた能格も,やたら複雑な動詞の変化も,グルジア語をうまく働かせるためには欠かすことのできない歯車であることが,勉強していくうちに少しずつ分かってきました。それ以来,グルジア語のしくみ,そしてその背後にある論理をより深く理解しようと,研究を続けています。
これまで私は,主にグルジア語の形態法や統語法についてさまざまな観点から考察してきました。グルジア語はグルジア内外ですでにかなり詳しく研究されていますが,分からないことはまだまだ尽きません。今後はとくに意味論・語用論的な側面を考慮に入れることで,大きく研究を前進させていく余地があると考えています。また,グルジア語は古くは5世紀より書かれたものが連綿と残っており,1500年以上にわたる言語の変化を克明に観察できるという点でも,すぐれて貴重な研究対象です。グルジア語を通して見えてくることは少なくありません。
最近は,グルジア東部の村に出かけ,そこで話されているバツビ語という言語の調査を続けています。バツビ語はグルジアの北隣で話されているチェチェン語に近く,グルジア語とはまったく異なる言語です。話し手の数は2000人ほどしかいません。若い世代や子供はもはや流暢に話すことができず,消滅の危機にさらされています。残された時間は長くありません。今のうちにできるかぎり詳細な記録を残し,ゆくゆくはバツビ語の文法・辞書をつくりたいと考えています。
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