エルサレムのオリーブ山から見える万国民の教会。
髙橋 洋成
(2018年02月特任研究員着任)
幼い頃から「変な文字」に憧れを抱いていた私は,やがて旧約聖書のヘブライ文字,そしてヘブライ語に興味を持つようになりました。特にヘブライ語の「多彩すぎる語形変化」に惹かれ,その裏にはどのような法則があるのか,こんな複雑な言語をどのような人々が使いこなしていたのか――に思いを馳せるうち,いつしか旧約聖書を生み出す土壌となった古代オリエント文明,中でも楔形文字粘土板に書かれたアッカド語にまで手を広げてしまいました。
西アジア・北アフリカに分布している,ヘブライ語やアッカド語の親戚を,総称してセム諸語と呼びます。それらに共通する特徴は,語を作り出す多彩なパタンの存在です。現代ヘブライ語の例を挙げると,spr という語根を「- i - e -」というパタンに当てはめた siper は「彼は語った」,「- i - u -」というパタンの sipur は「物語」,「me - a - e -」というパタンの mesaper は「語り手」です。しかも,これらに接辞が付着してさらに音変化するのですから訳が分かりません。
言語学者サピアは,言語のことを「思考の溝」と言いました。人間の内なる思考は,言語という溝に流し込むことでかたちをなし,はじめて外に出すことができるのだと。では,複雑な語形変化をもつセム諸語の話者は,いったいどのような思考をし,どのような世界を見ているのでしょうか。この問いに対する答えを求めて,私はヘブライ語やアッカド語の歴史をさかのぼり,複雑な語形変化のおおもとは何であったかを調査・研究しています。
また,私は2つのチャンスに恵まれました。1つは,イスラエルに留学して現代に生きるヘブライ語を学べたこと。現代語の研究で得られた知見は,もはや話者の内省など望むべくもない古代語の分析のためにも欠かせないものです。もう1つは,エチオピア少数言語の調査プロジェクトに参加できたこと。エチオピアはセム諸語の分布の最南端にあり,また,アフロ・アジア諸語と呼ばれる大言語グループの周縁に位置します。「言語の古い特徴は周縁に残る」という方言周圏論に従えば,ここにアフロ・アジア諸語,ひいてはセム諸語の古い特徴が残っており,ヘブライ語の複雑な語形変化の謎を解き明かす鍵になるかもしれない――と,エチオピア南部,未調査の少数言語を多数抱える南オモ県へ出発し,これまでハマル語,バンナ語,カラ語を調査してきました。
結論を言えば,私の調査したエチオピア諸言語とセム諸語との関わりは薄く,私の目論見は外れました。しかし,繰り返しになりますが,古代語研究は現代語研究での知見をもとに,何がどこまで言えるのかをきちんと位置付けねばなりません。そこで,現代語・古代語を問わず,調査で得られた録音・録画・文献資料を,言語学的な用途・分析に耐えうるかたちにしてデータベース化すること。これが当面の私の研究課題となりました。
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