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新任スタッフ紹介 51

流されて中期朝鮮語


韓国・ソウルの光化門広場にある世宗大王像。
2013年3月撮影。

小山内 優子
(2017年2月研究機関研究員着任)

フランスかぶれで,楽しみといえばテレビのフランス語講座という田舎の高校生だったわたしは,大学でフランス語を勉強して,フランス語の翻訳・通訳をするのが夢でした。しかし土壇場でいろいろとうまくいかず,悩んでいたところに高校の先生からの「東京外大の日本語科に行ってフランス人に日本語教えれば?」という一言。「それもいいな」と簡単に進路を決めてしまったのでした。

大学に入学してみると,東京外大の日本語専攻(当時)は1学年の約3分の2が留学生という環境。そして日本語専攻の日本人学生は対照言語学の科目として朝鮮語が必修でした。やれと言われて始めた朝鮮語ですが,これが想像以上に面白い。まずハングルを覚えるのが楽しい。発音は難しいけれど,文法は日本語とよく似ている。かと思えば全く違う仕組みもあって,一筋縄ではいかないところがまた心をくすぐる。更に,授業で学んだ朝鮮語をすぐ次の授業で同じクラスの留学生相手に使えるという,語学学習に恵まれた(?)環境にいる。興味の対象がフランス語から朝鮮語に移るのにそう時間はかかりませんでした。

学部2~3年になり,研究テーマを決める時期になると,今度は指導教員の影響でフィールドワークに憧れました。どうせなら日本であまり研究されていない言語を研究しようと,カフカスで話されているとある言語を勉強し始めました。しかし,「これで研究対象が決まった!」と思ったのも束の間。ちょうどその頃,1年次に教わっていた朝鮮語の先生に「中期朝鮮語の授業やってるんだけど,とってみない?」と声をかけていただき,「空いている時間だし,とってみるか」と軽い気持ちで受講したのが最後,思いがけず中期朝鮮語の沼にはまり,現在に至ります。

中期朝鮮語は,ハングルが作られた15世紀中葉から16世紀末までの朝鮮語です。古語ですから,母語話者はいません。文献とにらめっこしながら研究するインドア研究です。母語話者がいないということは,コンサルタント調査もアンケート調査もできないということです。「この形式とこの形式の使い分けを知りたい…でも誰にも聞けない…」と非常にもどかしいことも往々にしてありますが,当時の人々がどのようにことばを使っていたのか,限られた文献から少しでも汲み取ろうと試行錯誤するのはなかなか楽しい作業です。どうやら,文献という “フィールド” はわたしの性に合っていたようです。

中期朝鮮語に至るまでを振り返ってみると,節目節目で「先生に勧められたから」「必修科目だったから」と流されてきたように思います。しかし,きっかけは何であれ,どの出会いもこれまでの研究,仕事,そして生活に活かされていて,無駄にはなっていません。運命的な出会いを経てからは中期朝鮮語一筋でしたが,最近は少し時代を下った近代朝鮮語にも手を出しているところ。今後どう流れていくのか,自分でも楽しみです。


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