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新任スタッフ紹介 58

ミャンマー北部での言語フィールドワーク


カチン州の一風景:プータオ郡ムラシディ村(2018年3月撮影)。

倉部 慶太
(2018年4月助教着任)

私はミャンマーの少数民族カチン人の言語の1つであるジンポー語を対象にフィールドワークに基づく研究を進めています。カチン人はミャンマー北部カチン州を中心に居住しています。カチン人は言語的に多様な民族であり,相互に必ずしも通じない複数の言語を話します。ジンポー語はカチン人の共通語として通用しており,カチンの人々を結びつける1つの重要な紐帯の役割を果たしています。この言語は系統的にシナ・チベット語族に属し,中国語,チベット語,ビルマ語などと共通の祖先を持っています。

私はこれまでジンポー語に見られる言語特徴が言語学的観点から世界や東南アジア地域の言語の中でどのように位置づけられるかに関心を持ちながら,この言語の音声,文法,歴史,言語接触,地域特徴などの研究を進めました。一見ジンポー語特有に見える個別的特徴が,より抽象的なレベルでは他の言語にも当てはまることが多々あります。例えば,「父母」,「手足」,「南北」のような並列複合語は,ジンポー語では「母父」,「足手」,「北南」の順序で並列要素が配列されます。一見無秩序に見えるこれらの順序はより多くのデータを検討することで,短い音節からなる要素が先行するなど,規則的に配列されていることが分かります。さらに,同様の規則は英語などのよく知られた言語にも当てはまり(pins and needles, bread and butterなど),世界の言語の並列表現に広く観察されるものであることが分かります。

また,ジンポー語で「日月食」は「蛙が日/月を呑む」と表現されますが,この一見ジンポー語に特異な表現は周辺言語を見ることで,東・東南アジアに系統を超えて非常に広く分布することが分かります。例えば,「天の犬が月を食う」(中国語:シナ・チベット語族),「虎が日を食う」(ラフ語:シナ・チベット語族),「ムササビが月を食う」(ヤイ語:タイ・カダイ語族),「ナマズが月を呑む」(カチョ語:オーストロアジア語族),「竹鼠が月を食う」(黔東苗語:フモン・ミエン語族)などです。

近年は自身の研究を現地コミュニティに還元する取り組みも行っています。その1つの試みとして,これまでフィールドワークにより蒐集した昔話,伝説,神話,ことわざ,唱えごと,民謡などのカチンの口承文芸をデジタルアーカイブで公開する取り組みを進めています。近年の社会の急激な変容により,これらカチンの口承は急速に失われつつあります。この事態をカチン人も危惧しており,この無形文化財を後世に伝えたいという声が多く聞かれます。口承文芸のドキュメンテーションと伝統文化再活性化を目標として,2017年,私は蒐集した口承1,805本をデジタルアーカイブPARADISEC (Pacific and Regional Archive for Digital Sources in Endangered Cultures)で公開しました。PARADISECは世界の少数民族の言語と文化に関するアーカイブであり,太平洋地域を中心に1,000を超える言語の資料が保管されています。


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