藤波 伸嘉
(2013年4月研究機関研究員着任)
トルコでも日本でもしばしば,「なぜオスマン史をやろうと思ったの?」と聞かれます。あえて考えてみるならば,次のようなことになるでしょうか。
僕は昔から歴史が好きで,でも歴史学と歴史小説の区別も分からず,ただ漠然と「歴史」なるものをやりたいと思って大学に入りました。ずっと周りの人間との関係や交渉に不自由を感じていた自分を,何か自由にしてみたいという極めて個人的でありながら切迫した要請が内面にあって,それを可能とするものとして,学問や知に対する,やはり漠然とした憧れがあったのだと思います。その中でも歴史や歴史学に関心が向かったのは,これは僕自身の性格に発するものと言うべきなのでしょうか。
その後,ご多分に漏れず大学の図書館に入り浸って手当たりしだいの乱読に励んでいた頃,世上一般に哲学なり政治学なり宗教学なりの「古典」として通用する著作を見ても,どうもそれらは,何か固定された前提に囚われ過ぎているように思えてなりませんでした。もちろん,個々の事象や方法論について何一つ分かっていた訳ではないので,恐らくその違和感とは,近世から近代にかけての世界史叙述の「型」に対してのものだったのでしょう。恐らくそのような「前提」なり「型」なりが,今現在の自分の思考をも抜き難く規定しているに違いない,そう思い込んで,ではそこから自由になるには事実に立ち戻ってそれを跡付け直すしかない,そのためには正に近世から近代にかけて世界有数の一大帝国だったにもかかわらず(あるいはそれ故に),西欧列強の進出の矛先をほとんど一身に受けていたオスマンを是非勉強しよう,そしてそれには何といっても歴史学の手法を用いる他ない,そう考えました。
その後,紆余曲折があって,学部でも大学院でも,制度的には「地域研究」を看板とするところにいたのですが,実際にはずっと歴史学を専攻しているつもりでした。ただそうやって勉強を続ける中で,やっぱり少し依怙地なところは多かったかなとも思います。何とか博士論文を書き上げ,ようやく一息つけるようになって,それまでの頭でっかちな自分の研究に対しても,少しずつ相対的な視点から見られるようになってきたのではないかと思います。トルコに留学していた際も,せっかく色々な機会があった筈のものを,通り過ぎてきてしまったことが多いように感じます。
博論を書いた後も色々と紆余曲折はありましたが,ご縁があって,こうしてしばらくはAA研のお世話になることになりました。自分自身の関心の持ち方に引き換えて,色々な地域の人々に真っ直ぐに入り込んでいくAA研のスタッフの方々の姿を見ると,自分自身の,そしてオスマン史の在り方についても,色々と思わされてしまうところです。だからこそ,こうしてせっかく色々な機会があるわけですから,これからは,ここにいられる時間を大切に,できるだけ色々なことを吸収していきたく思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。
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