吉田 ゆか子
(2016年4月助教着任)
中学時代に連れられて行った旅行先がインドネシアのバリ島でした。そこでこれまで経験したことのない音の響き,色彩や,踊り,リズムに出会い,すっかり現地の芸能文化に魅了されました。毎晩芸能公演を観てまわり,ホテルで竹製の鍵盤楽器リンディックを演奏していた従業員に曲を教えてもらい,最後は楽器を担いで帰国しました。当時から,私にとってバリの音楽は何かと興味深い存在でした。例えば,楽器ごとに調律が微妙に違います。どれかの調律がまずい,というわけではなく,それが楽器毎の個性として楽しまれていました。西洋音楽しか知らなかった当時の私にとって,このバリ音楽のおおらかさは衝撃的でした。やや大げさに言えば,それまでの自分の音楽観がいかに窮屈なものであったかを思い知らされ,またそれを大きく押し広げてもらったように感じます。相手のことを知り,自分の小ささに少し傷つき,同時に世界が広がる感覚を得るという喜びは,人類学を学び,(バリに限らず)現地調査をする中で,しばしば感じるものです。
現地調査を始めると,バリ芸能の新たな面も見えてきました。現地の人にとって一部の芸能が義務的な営みであるという点もその一つです。例えば,私が通っているバリのM村には,ルジャン・レンテンという名前の群舞が伝承され,ヒンドゥ教の寺院の祭りの期間中には毎日かならず踊られます。女性達によるこの奉納舞踊は,シンプルな動きを繰り返す素朴なものですが,数十人の着飾った女性達がゆっくりと身体を揺らしながら一斉に踊る姿は,伴奏曲の美しいメロディとも相まって壮観なものです(写真参照)。しばらく村に住むうちに,この踊りが当番制であり,檀家世帯の既婚女性の義務と見做され,これをサボると15000ルピア(当時のレートで約200円)の罰金が科せられることを知りました。踊りが下手な者も,他村から婚入したばかりでこの踊りを知らない若い嫁達も,みな儀礼に参列し,この一曲を神々に捧げなければならないのです。実は罰金が実際に徴収された事は無いそうですが,この表向きの罰金ルールは,踊りが個人の趣味的な活動ではなく,村の成員,あるいはヒンドゥ教徒として果たすべき「仕事」であることを示しています。また,村外から嫁いできた女性達は,他の婦人たちと共に音を感じ,身体を連動させて群舞の流れのなかに入ってゆくことで,真に村の成員となるのだともいえます。バリ芸能の全ての演目が義務的なわけではありませんが,多かれ少なかれどの上演も神々を楽しませる機能を担っており,よって社会的重要性を帯びた仕事という意味合いをもっています。
近年は,このように宗教生活に深く埋め込まれたバリ芸能が,バリ社会を離れた場,とくに首都ジャカルタでどのように受容され,意味づけられ,実践されているのかに関心を持っています。バリ島内ではヒンドゥ教徒が圧倒的多数ですが,インドネシア全体でみると,ムスリムが国民の約9割にのぼります。現在ジャカルタではこのバリ舞踊が盛んに学ばれ,特に子供達の習い事として定着しています。ムスリム達が,ヒンドゥ寺院で舞踊に参加するなどの興味深い現象も生まれ,バリ舞踊は,ムスリムとヒンドゥ教徒それぞれの身体,そして身体観や宗教観が出会い,対話や交渉が行われる場となっています。上演や練習の現場に足を運び,両者の交流に立会いながら,ムスリムと非ムスリムの芸能を通じた交渉や相互理解のプロセスを考えたいと思っています。
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