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新任スタッフ紹介 34

マレー半島における多民族社会の形成

坪井 祐司
(2014年5月研究機関研究員着任)

イギリス植民地期のマレー半島の歴史をマレー人という民族集団の形成過程に注目して研究しています。多民族社会のマレーシアにおいて,マレー人は「土地の子」とされる存在ですが,枠組み自体の流動性に関心を持ったためです。

私がこのテーマの着想を得たのは,修士課程のとき指導教官であった桜井由躬雄先生のもとでマレーシアの首都クアラルンプル近郊における「マレー村落」の現地調査を組織したのがきっかけでした。実は,住民の多くはジャワ系の移民二世・三世でしたが,彼らはあくまでもマレー人でした。歴史を研究していると,こうした移住者(の子孫)には家系や移住の来歴を聞きたくなりますが,それについてはあまり知らないようでした。彼らにとっては,過去の系譜よりも現在のマレーシア社会という場におけるマレー人としての立場のほうが重要なのだと感じました。

その後マレーシアに留学する機会を得て,植民地の地方行政史料からマレー人社会を分析しました。とくにクアラルンプル周辺はマレー系移民が多く,かなりの「現地人」行政官がスマトラ出身者でした。移民はイギリス政庁に対してしばしば手紙を送り,自らの代表者を官職につけようと試みました。外来の出自を持つ人びとほどマレー人という公的なお墨付きを求めたのです。マレー人という公式の概念は,イギリスが設定した場において,「現地人」という枠組みに外来の出自を持つ移民が入りこむことで形成されたのです。

その過程で気になったのは大量に出された手紙の多くがジャウィと呼ばれるアラビア文字表記のマレー語で書かれていたことです。当時の公用語は英語であったのですが,ジャウィによる手紙は公文書として認められていました。多民族の社会秩序は多言語・多文字のやりとりのなかで生まれてきたものだと思いました。そこで,新聞や雑誌という開かれた場におけるマレー民族についての議論に関心を持ちました。

20世紀におけるジャウィの新聞・雑誌には,様々な出自を持つ人々が関わっていました。出版における資金の提供者やジャーナリストの多くは,マレー人と他者との境界に位置したアラブ系やインド系ムスリムでした。さらに,内容を見ると,英語紙を含む他紙の記事が頻繁に引用されており,マレー民族をめぐって華人やイギリス人など他者をも巻き込んだ論争が交わされていたことがわかります。その場にいる多様な勢力が相互に影響しあいながらマレー人という集団が形成されていくプロセスは,人口が常に流動する海域社会であるマレー半島の重要な社会的特徴であると考え,その動態の解明を目指しているところです。

改めて文字にしてみますと,私の研究関心自体きわめて場当たり的で,その場に応じて変化していったものだと感じざるを得ません。ただし,そう考えますと,このたびAA研で新たな場を与えていただいたことも一つの機会といえます。さまざまな活動を通じて,現在はまだ見えていない新しい研究関心が見つかるのではないかと期待しています。


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