15世紀の有力官僚イブン・ムズヒルがカイロに建立したモスク
太田(塚田) 絵里奈
(2021年4月特任助教着任)
「その時代に生きた人間の,血の温かさを感じられるような研究がしたいです」
学部生時代,恩師に「どのような歴史研究を目指すか」と問われ,思わず出た言葉でした。その気持ちは今でも変わらず,学者や官僚などの文民エリートを中心に,前近代アラブ社会を生きた人々のライフコースや価値観・・・一言で表すならば「生態」を観察し続けてきました。
2008年にエジプト・カイロに留学した際も,中東の人々の「生態」への関心は止まず,下宿先を探していた折に紹介されたアレクサンドリア出身のエジプト人女性とのルームシェアを選びました。6階エレベーターなし,風呂なし,日中40度を超えるカイロでエアコンもなしという安アパートで過ごした3年間は,効率重視では進まない物事に閉口しつつも,伝統と変容の狭間で揺れ動く現代エジプトを生きる人々と喜怒哀楽を共にした,かけがえのない時間でした。
帰国を間近に控えた2011年1月,「アラブの春」と総称される民主化運動がエジプトでも始まり,自宅がその中心地であったタハリール広場からほど近いダウンタウンに位置していたため,革命の進展を具に目撃することとなりました。治安が急速に悪化し,通信手段が断たれ,生活物資が乏しくなるなか,ついに自宅の食材が冷凍のグリーンピースのみになり,生きて日本に帰れるのだろうかと絶望の淵に立っていた私をよそに,「インシャーアッラー,何とかなる」と,この段階においても楽観的なエジプト人に,驚きを通り越して尊敬の念すら抱きました。この激烈な社会変動を目の当たりにしたことは,歴史を学ぶ意義を自らに問い直す経験でもありました。
私が勉強している15世紀のマムルーク朝は,領土的野心を見せるオスマン帝国をはじめとする周辺諸国からの外圧が高まるなか,大航海時代の幕開けとともに,ヨーロッパ諸勢力の攻勢も強まり,大陸・海域の両方面から守勢に立たされた時代でした。国家財政が窮乏し,都市民への収奪が激化していくなかで,多くの行政官を輩出した名家が形成されました。彼らは自身の党派を率い,有力官職をめぐって争いつつも、婚姻や後見を通じて書記技術の継承や次世代官僚の養成にあたり,総体として生き残ろうとした点が注目されます。文民エリートの人物研究においては,いつ,いかなる職を獲得したかという立身出世の過程がまず取り上げられますが,それらの背後にある,人的関係をはじめとする多様なファクターが,その人物の生涯,そして生存戦略にいかなる意味を持ちえたのかという点を明らかにしたいと考えています。
厳しい時代環境のなか,生きるためにもがき,最終的には神の御心に委ねる精神。アラブの人々に綿々と受け継がれてきた,生き残るための戦略知と心性を,通時的に観察することを目指しています。
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