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新任スタッフ紹介 60

境界領域に生きる人々への関心


モロッコとスペインの地続きの国境(2012年)

篠田 知暁
(2019年3月特任研究員着任)

私が研究しているのは、今日のモロッコに概ね該当するアフリカ大陸北西端の地域の歴史です。特に15~16世紀のこの地域北部における、ムスリムとキリスト教徒の関係について研究しています。もともとは両者の政治的な関係を調べていたのですが、最近は異教徒との境界領域で人々はどのように暮らしていたのか、というより社会史的な問題に(多くの脱線をしながらも)関心が移ってきました。このことについて、そもそもなぜモロッコでキリスト教徒?という点にも触れながら、書いてみようと思います。

モロッコは観光旅行の目的地として近年アラブ圏の中ではポピュラーな国となってきましたから、訪れたことのある方もいるかと思います。私はその北の端にあるティトワーンという田舎町に二年間留学していたのですが、この地域の人々は同国の他の土地の人々にない「特権」がありました。それは、スペインが北アフリカに領有する飛び地の一つであるセウタという町までは、その日のうちはビザなしで滞在できるというもの。元々はセウタ住民の便宜を図るための措置だったそうですが、近年ではモロッコ人がセウタで働いたり、ヨーロッパの商品を輸入してほかの地方から来た商人に売ったりするために押し寄せるようになっていました。その正確な数はよくわかりませんが、報道によっては毎日一万から一万五千人が国境を行き来していたとされます。その結果の混雑に加えて治安の問題も生じたため、数年前からこの「特権」の廃止が取り沙汰されるようになりました。実際2018年末には一時ビザなしでの通関が停止されたと報じられており、今後の動向は不透明な状況です。

さて、私が研究している時代には、イベリア半島のキリスト教徒国家が海外進出を開始します(いわゆる「大航海時代」)。その最初の攻撃対象となったのがムスリムの暮らすモロッコ地域で、一時は沿岸部の大半が両国の支配を受けることになります。セウタが今日スペイン領であるのは、この時代にポルトガルによって征服されたことに起因しています。その結果、ムスリムとキリスト教徒の支配領域が流動的な境界線を挟んで対峙する場所が、モロッコ地域の各地に現れることになります。このような領域を「境域」と呼んでいます。この時代に関する文献は、「境域」の支配をめぐる両者の政治的な関係や、それぞれの内政との連関だけでなく、「境域」に暮らし、両者の政治的な、そして時には宗教的な境界線を越えて行き来する人々の活動についても、様々な情報を伝えています。

これらの人々は、必ずしも望んで異教徒との境界領域に暮らしていたわけではなく、むしろやむを得ずそのような選択を取った場合が多いと思われます。とはいえ、今日のモロッコ北部の人々が現代的な国境の存在という条件を活かして生きているように、15~16世紀の「境域」の人々も、当時の西地中海地域の政治・宗教的な状況に対して能動的に適応しながら生きていたのではないか。そのような試みを、歴史学の枠組みにおいてとらえることはできないか。このような問題関心のもと、アラビア語とポルトガル語の文献を中心に用いて研究を行っています。


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