嘉藤 慎作
(2021年4月研究機関研究員着任)
歴史的にみるとインド洋海域では古来より米や魚などの食料,木材などの日用品から綿布や象牙,真珠,胡椒,クローブ,ナツメグ,メース,白檀などといった奢侈品に至るまで様々な商品が海上交易を通じて交換されていました。そこでは地域ごとに結びつき方に強弱があったとはいえ,相互に依存的な経済世界が形成されてきたと考えられています。海上交易にともなって,共通の商慣行や言語も広まり,また,商人と共に移動した人々によって様々な知識や技術などもインド洋海域の沿岸地域の社会に拡散してきました。こうした商品の交換や知識・技術の移転・拡散の中心を担った場が港市です。インド洋の港市では,様々なエスニシティを持つ人々が頻繁に行き交い,時に争いつつも共存してきました。外部からもたらされる様々な要素を受容したインド洋の港市社会には,地域によって独自の文化・習慣などが存在する一方で,共通する点も数々見出すことができます。このように地域ごとに特徴を持ちつつも,外部からもたらされる多様性を受容して互いに重なりあうような文化・社会を形成してきたところに港市の面白さがあります。
私が中心的な研究対象としているのは,16世紀から18世紀のいわゆる近世といわれる時代におけるインドの港市です。この時期のインドの港市は,多様性という観点から見た時に,非常に興味深い事例を提供しています。インドは地理的にみてインド洋海域のちょうど中心といえる場所に存在しており,インド洋交易において需要の大きな綿布を産出したために人々の往来は極めて盛んでした。また,交易に従事した商人も非常に多種多様な背景を持つ人が多く,ムスリム商人,バニヤ商人(ヒンドゥー教徒・ジャイナ教徒の商人)をはじめとして,パールスィー商人,アルメニア商人,ユダヤ商人,イギリス人・オランダ人などのヨーロッパ人,さらには東南アジアからやってきた商人も数多くいました。近世インドの港市は,きわめて盛んな異文化間交流の舞台となっていました。
当然のことですが,このような異文化間交流が盛んになればなるほど,港市では争い事が多くみられるようになります。一方で,交易に従事して商業的な利益を得るためには,時に宗教や信条,立場の違いを乗り越えた協力関係を結ぶことも不可欠でした。私は,このように様々な背景を持つ人々が時に対立しながらも,そうした対立をいかにして解決し,どのように折り合いをつけて共存していたのかということを研究テーマとしています。
全く背景を異にする他者と共存するということはどういうことなのか,そこにはどのような困難があり,それをどのように乗り越えることで共存を実現していたのか。港市社会の歴史研究を通じて,そうした問いに答えることができればという思いで,現在は研究を進めています。
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