展示品
1 シムラーン(からベイルート眺望) 54 ナーブルス
4 シドン 55 ヤーファー
6 シドン 56 ヤーファー
8 アル=アウリー川 60 エルサレム
12 ハースバイヤー 61 エルサレム
13 ハルウェト・アル=ビヤード(からヘルモン山眺望) 64 アイザリーヤ
16 アル=ヒバーリーヤ 65 ベツレヘム
21 ハースバーニー川水源地 71 ガザ
27 フーニーン 73 アル=アリーハー
29 クファル・ベルン 74 ワーディー・ファイサル
32 ラアス・アル=アイン 76 ヨルダン川
34 ティール 86 ジャッズィーン
36 カアカアエ橋 87 ベカー高原(眺望)
43 アッカー 88 ダマスクス
47 エズレル平原(カルメル山からの眺望) 93 ヘルメル
50 カイサリア 99 アフカー
51 ジェニーン    
石だらけの道を行程の半ば,つまり町から2里離れたシムーランまで進んだら,小さな松林の日陰でしばしの間休むことをお勧めする。そこからはベイルートと湾,またそれを取り巻く丘を最も美しく【全文をよむ】
間もなくシドンの家並みと海に少し突き出した城が現れてくる。我々はアル=アウリー,またはアル=アウワリー川,つまりかつてのボストゥレヌスの河口近くを,町に着く約45分前に渡っている。近づいていくと【全文をよむ】
アッシリア,マケドニア,ペルシア,シリア,エジプト,そしてローマの軍勢が,フェニキアの中心都市であるシドンに対して順番に破壊行為を行ってきた。サラセン人や他のマホメット教の征服者たちによって行われた【全文をよむ】
アル=アウリー川の支流のうち最も大きいバールーク川は主峰の高所に水源を持ち,流れに沿って,泡立つ水の上に張り出した多くの村に囲まれている。この急流はジャッズィーンの支流を受け入れた後,【全文をよむ】
ハースバイヤーは大きな村で,6000人以上の住人がいるものと思われ,その大半がギリシア・カトリック教徒で,約4分の1がドルーズ派である。そして,マロン派,プロテスタント,スンナ派,ユダヤ教徒が,【全文をよむ】
この高所を訪れる際にドルーズ派の聖域から少し逸れざるを得なかったが,それは傾斜地を東に向かって下るためであった。この場所ではヘルモン山の最も美しい眺望のひとつを楽しめる。実のところ山腹の大部分は【全文をよむ】
我々はハースバイヤーの峡谷によって形作られた湾曲部を迂回し,村の南側約1里のところで,最初の谷よりもはるかに深く,まるでヘルモン山の中心にまで食い込んでいるような二つ目の谷の縁に到着する。それが【全文をよむ】
我々は既にヨルダン川上流のこの支流のことは知っており,その川の水源を訪れるのを心待ちにしていた。水源は,ハースバイヤーに上るためにハースバーニー川を渡る地点から北に20分ほどのところで【全文をよむ】
デイル・ミーマースの南へ約2時間進むとフーニーンの町と城跡に着く。この要塞はフーラ平野の西側の山岳では最も目立つ地点である(図版27)。遺跡は今日その姿を見せている通り,まさしく【全文をよむ】
クファル・ベルンの村に近づくと旅人は,彫刻が施された南向きの古い門に惹きつけられる。それは遥か昔に壮大な建造物の入り口を成していたものであり,その建造物は,ガリラヤに見られる同じ【全文をよむ】
ラアス・アル=アインの貯水池群は,現在では3つのグループを構成している。南端に位置するグループは,水源地の上方近くに造られた2つの貯水池から成っており,長さ6ピエ[約2メートル],幅4ピエ【全文をよむ】
我々は岩山を離れて町の南側を迂回し,ムスリムの墓地に着く(図版34)。ベルトゥは,この場所では堅固な岩山全体が,厚さが少なくとも8ピエ[約2.6メートル]もある土と瓦礫の殻で覆い尽くされていると【全文をよむ】
ビラード・ビシャーラでの小旅行を続けることにして,かくも興味深いこの美しい界隈をくまなく知るために,やって来た道からは遠ざかるが,後でまたそれを斜めに横切る道を進んでいこう。すぐに見つけた【全文をよむ】
度重なる破壊の後,アッカーの街中で先人の旅行家たちが語っている壮麗な教会堂や宮殿の遺跡を探しても無駄であったのは驚くべきことだろうか?確かに,大混乱を生き抜いた3つの遺跡は今なお【全文をよむ】
そこがいけにえを供える場であったことの手掛かりと思われるアル=ムフラカ[「焼かれた場所」の意]という名に導かれて,我々は「列王の書上」18章に記されているあらゆる状況にその現場が【全文をよむ】
タントゥーラからカイサリア遺跡に向かう行程には2時間半を要する。我々は河口に遺跡がある2つの川を渡り,二つ目のアッカー川から残りの半時間の間,かつてカイサリアに水を供給していたが,今日では【全文をよむ】
ジェニーンはイッサカル支族のエン・ガンニムであると同定される(「ヨシュアの書」19章21節,21章29節)。そのヘブライ名である「園の泉」が今なお完全にそれを証明している。ジェニーンは今でも【全文をよむ】
[ナーブルスの]町の描写は我々のデッサンが示している通りである(図版54)。この風景はエバル山の麓からのものであるが,エバル山の形状と様子は,ゲリジーム山のそれらとほぼ【全文をよむ】
ヤーファーの旧称であるヤッフォ(「ヨシュアの書」19章46節;「歴代の書下」2章16節)がヘブライ語で「美しい」を意味する「ヤフェー」に由来するにしろ,或いはまた,より近い【全文をよむ】
ヤーファーの旧称であるヤッフォ(「ヨシュアの書」19章46節;「歴代の書下」2章16節)がヘブライ語で「美しい」を意味する「ヤフェー」に由来するにしろ,或いはまた,より近い【全文をよむ】
我々はケデロン谷に降り,ゲッセマネ[の園]を通り抜け,[ステファノ]門から4分の1里でオリーブ山の中腹に至る。我々の画(図版60)はその地点から描かれたものである。そこからは町の最も【全文をよむ】
進んでいる道の北側には,起伏があってところどころオリーブに覆われた(特にダマスクス門(図版61)の付近では)平原が広がっている。平原は北から南に走っている地形の沈降によって【全文をよむ】
我々は図版64の画を恐らくは,聖ルカによれば「救い主」の昇天が起こった場所から描いた。険しい小道を下るとベタニアまでは歩いてすぐである。従って福音書の話は【全文をよむ】
我々は「サムエルの書上」10章2節に出て来るゼルザをベイト・ジャーラー村の中で右側に見つける。15分ほど登った後,我々はついに今のベツレヘム門に着く。図版65はどんな描写にもまして【全文をよむ】
ベイト・ジブリーンを経由してエルサレムに戻る際に,中心都市であるガザをまったく見ないでペリシテを離れる訳にはいかない。一様にではないにしろガザは今日でも比較的【全文をよむ】
川での水浴びと,川辺の木陰の下でとる昼餐で1,2時間の楽しい時を過ごした後,我々は焼けるように暑いエリコの平原を2時間かけて横断する。しかし,【全文をよむ】
アル=ゴールを取り囲む山々の切り立った稜線と我々とを隔てているのはほんの数歩の幅である。長く骨の折れる小道を通って岩場の下に到着したが,野生のイチジクときれいな【全文をよむ】
〔ヨルダン川に〕着いてみるとそこは,およそ100ピエ[約32.4メートル]は沈み込んでいようかという開いた地形の端である。それは大きさの点では2番目の谷であり,緑に覆われた両岸の間を【全文をよむ】
我々の目的がベイルートに到着することであったならば,幾つかの美しい眺望で有名な道を辿ったことだろう。まずムフターラとバールーク川の素晴らしい谷,次にベイト・エッディーン,つまり【全文をよむ】
その限りない広さの殆どを一望に収めるこの地点が,ベカー,つまりコレ・シリ平原の南端であると見なすことが出来る(図版87)。2つのレバノン山脈を隔てる大きな谷は一般には【全文をよむ】
我々はアイーターの先の岩山や,趣のあるワーディー・アル=クルン(その雑木林は山賊たちの隠れ家となっている),白く輝くサフラー,そしてダマスクスの平原に沿うジャバル・アル=メッゼの【全文をよむ】
ピラミッドの建造に使われた石は,ばら色を帯びた黄色の,密度が高く非常に硬い石灰岩である。しかしながらその基壇,即ち3段の台座は黒い溶岩である。建造物の異なった面は【全文をよむ】
[ベイルートに戻る]第1日目の間中ずっと前方の小道を白くしている雪は,我々がまだかなりの高度にいることの証拠である。しかしアークーラ村に着くには海抜4500ピエ[約1460メートル]まで降りなければ【全文をよむ】