展示品
60 オリーブ山から見たエルサレム
 我々はケデロン谷に降り,ゲッセマネ[の園]を通り抜け,[ステファノ]門から4分の1里でオリーブ山の中腹に至る。我々の画(図版60)はその地点から描かれたものである。そこからは町の最も美しい姿,取り分け,ハラム・アッシャリーフや岩のドーム(アル=サフラー),そしてアル=アクサー・モスク(ユスティニアーヌスによって建てられたかつての聖処女教会),またそれらの高い穹窿,堂々たる新月[のシンボル]を見ることが出来る。ブラダン公爵は幸運にも,ムスリムの重要な聖域であるアル=サフラー・モスクに入ることが出来た。それ以来,バクシーシ(喜捨)をはずむことで,異教徒にも入ることが許されている。写真のおかげで我々はハラム[聖域]をその細部に至るまで知っており,またそのデッサンは幾つも描かれている。それでもなお,我々のいる地点から享受しているこの眺めは,些かも関心を失わせることがない。恐らく実際に,ここからイエスは弟子たちに,町を襲うことになる徹底的な災厄(「マタイによる福音書」24章,「マルコによる福音書」13章,「ルカによる福音書」21章)を予言したのである。その時,弟子たちの眼下にあった光景は,周囲の高みを埋め尽くすローマの軍勢という予言を彼らに非常に強く印象付けたに相違ない。ここで行われた恐るべき破壊のありさまほど衝撃的なものはない。我々の足元にある町には,廃墟とがれきの山,そして壮麗な建造物の跡に耕された畑地が残っている。
■オリーブ山から見たエルサレム旧市街の現在, 2011年10月(撮影:錦田愛子)
オリーブ山からエルサレム旧市街を見下ろす場所は、今も屈指の観光スポットである。だがその中間の斜面は近年、墓地建設をめぐる対立の場となっている。旧市街の黄金門のそばに埋葬を望むユダヤ教徒は、パレスチナ人が所有する東エルサレムの土地に、墓地を拡大させている。