概要

静謐なる聖地—石版風景画に見る19世紀半ばのパレスチナ・レバノン
多才なオランダ人元将校が踏査し、描いた地域の風貌

[日時] 2014年5月12日(月)—6月20日(金)
   午前10時30分より17時まで(土・日・祝日休場)入場無料
[場所] 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所1階資料展示室
[主催] 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
   基幹研究「中東・イスラーム圏における人間移動と多元的社会編成」
[問い合わせ先]
   東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フィールドサイエンス研究企画センター 
   東京都府中市朝日町3-11-1 電話 042-330-5665 e-mail meis@aa.tufs.ac.jp

■C. W. M. ファン・デ・フェルデ
『イスラエル地方−シリアとパレスチナの写生百景−』
出版者:ジュール・ルヌアール未亡人
パリ,1857年


【多才の人ファン・デ・フェルデ】
 今回展示するAA研所蔵のリトグラフ・解説集『イスラエル地方—シリアとパレスチナの写生百景』(Le Pays d’Israël: collection de cent vues prises d’après nature dans la Syrie et la Palestine, Paris, 1857)の作者、チャールズ・W・M・ファン・デ・フェルデ(1818-98)は多才な人でした。14歳の若さで父親と同じ道を歩むべくオランダ海軍に仕官、成人して間もない1839年から2年間、当時オランダ領だったインドネシアのジャカルタに赴任しました。そこで測量や地図作成の技術を習得、さらに持ち前の芸術的才能を生かした写生術も磨き、ジャワ島の測量を行い、島内各地の風景を描きました。1844年にオランダに戻ると、その風景画50点のリトグラフとジャワ島地図を刊行しました。(Gezigten uit Neerlands Indie, naar de natuur geteekend en beschreven, 1844; Kaart van het Eiland Java, 1845.)

【紛争の地と化した聖地】
 敬虔なプロテスタントであったファン・デ・フェルデは、軍人として身につけた現地調査と情報記録の手法を、聖地エルサレムとその周辺地域に応用したいと熱望し、1846年に退官した後、1851年から52年まで、現在のレバノンからパレスチナにかけての地域を踏査しました。レバノンはこれに先立つ10年ほどの間、マロン派キリスト教徒とドルーズ派との間で衝突が頻発し、踏査の時点では小康状態にありましたが、1860年に大規模な内戦に発展しました。一方、パレスチナでは、1846年にエルサレムの聖墳墓教会の管理権をめぐってキリスト教諸宗派の間で暴力事件が発生し、これが1853年からロシアとイギリス・フランス・オスマン帝国との間で始まるクリミア戦争の引き金となりました。それは、その約70年後から本格化するユダヤ人の入植と、1948年のイスラエル国家成立という激変を経験する前のことでした。

【連作のパレスチナ・レバノン旅行記】
 ファン・デ・フェルデの現地調査の成果は、本作品以外にもいくつかの記録として残されています。一人称で旅人としての心理や感情の動きまで描き出した旅行記(Reis door Syrië en Palestina in 1851 en 1852., 1854, 同年英語版、翌年独語版)、100点の風景画からなる本リトグラフ集、そして実測に基づいたパレスチナ地方と都市エルサレムの詳細地図(Map of the Holy Land. 1858)さらにその地図付属の覚書(Memoir to Accompany the Map of the Holy Land, 1858)という具合に、陸続と生み出されたのでした。当時、この地域に限らずヨーロッパ人による世界各地の旅行記は数多く出版されていましたが、通常はあくまで本文執筆に力が注がれ、地図や風景画はあくまでも付録であり挿絵でした。これら異なるジャンルの作品をすべて独立した大作として発表したファン・デ・フェルデの力量には、圧倒されます。この仕事は後世、聖書地理学という学問分野の確立に大きく寄与することとなります。
 なお、信仰心篤いファン・デ・フェルデは、その後、国際赤十字の設立の中心人物の一人として活躍することになります。


【1851年、風景画から風景写真への転換期、過去と現在】

 世界最初の実用的写真技法であるダゲレオタイプが発表されたのは1839年です。ファン・デ・フェルデが聖地を訪れた1851年は「湿板写真」が確立された年で、この時代は「風景画」から「風景写真」への転換期でした。ファン・デ・フェルデが残した作品は、風景を忠実に記録し、複製する「石版画」の最後の時代の作品といえます。本展では、ファン・デ・フェルデが描いた土地で、AA研の研究者たちが撮影したデジタル写真も併せて展示し、現在のこの地とは異なる160年前の静謐なる風貌を想像していただければと思います。