展示品
34 ティールの遺跡(旧大聖堂,町の南東部)
 我々は岩山を離れて町の南側を迂回し,ムスリムの墓地に着く(図版34)。ベルトゥは,この場所では堅固な岩山全体が,厚さが少なくとも8ピエ[約2.6メートル]もある土と瓦礫の殻で覆い尽くされていると主張している。私は掘り返された穴を自分の目で幾つも見たのでこの主張が事実であると納得したが,それだけではなく,あちらこちらで古代の建造物の石材を切り出そうと発掘している地元民たちは(というのもベイルートに建つ巨大な建造物のために今では需要が多いからである),途方もない深さまで降りていき,壮麗な神殿の大量の残骸(壊れた大理石の彫像,花崗岩や蛇紋岩の柱身,また他の同じようなもの)の中で,自分たちが岩山を打ち壊している様子など少しも見せず作業していたのである。特に町のこちら側では,ティールの往時の栄華を物語る,地面に散らばる瓦礫の山が相当量の貴重な破片を覆い隠しているように見える。このような場所での発掘は作業員たちにとっては疑いもなく十分に報いるものとなるに違いない。町の南東から東の部分にかけて,地峡を覆う砂の上にところどころ城壁の面が現れている場所でこのような発掘を行えば,町の古い城壁の大部分が見つかるのではないかとさえ思われる。事実,ひとりの地元民が我々に話したところによると,彼は砂の下に偶然出来た開口部から入り込んだことが一度あり,そこで城壁面のひとつがあるのに気づいたと言うので,我々は好奇心をかき立てられ,彼にならってその場所を蝋燭の光で探索した。そこは城壁の外側に沿った,銃眼を備えたドーム状の部屋であった。このトーチカのような空間の中を46歩まで歩くことが出来たが,そこで瓦礫に阻まれてそれ以上向こうには進めなかった。どれほど大規模な破壊が行われたことだろう! 積み重なった土や石の厚さが海抜数ピエにも達するというまさにこの場所にはかつて水路があり,アレクサンドロスの征服時には水深18ピエ[約5.8メートル]を以って対抗したのだった。
■同地点の現在, 2013年8月(撮影:黒木英充)

描かれている地点は現在もその雰囲気をとどめている。ティールは古来フェニキア人の拠点港市として有名で、沖合200メートルほどの島と陸地とに分かれていたが、アレクサンダー大王がここを攻略した時に埋め立てた。この地点は旧島側にあり、近くに地中海に臨む列柱や公衆浴場などの遺跡が、陸地側にも巨大な競技場や凱旋門の遺構がある。