展示品
4 シドン(サイダー),北側の風景
 間もなくシドンの家並みと海に少し突き出した城が現れてくる。我々はアル=アウリー,またはアル=アウワリー川,つまりかつてのボストゥレヌスの河口近くを,町に着く約45分前に渡っている。近づいていくと,町の主要な門でいつも見かけるような雑踏の只中に行き当たる。馬に乗ったり,駱駝に乗ったり,或いは徒歩といったあらゆる種類の旅行者たちがベイルートに向かって進み始め,我々の後について来たり,行き違ったりする(図版4)。ようやく町の北にある庭園を左側に通り過ぎると北東の門に着き,次いで,現地では「通り」と呼ばれている,部分的にドーム状の狭くて不潔な抜け道を何本か渡ると,修道院,つまりはフランス風隊商宿の中に避難所を得ることが出来る。旅行者は時には町の東にある,ペルシャ・ライラックに覆われたとても気持ちのよいマホメット教の墓地で野営することもある。しかしそこが全くの公共の場所であることに加え,空模様は雨が近いことを示しており,戸外の天幕の下よりも町の部屋に泊まる方がましであろう。
■シドン(サイダー)北側の風景の現在、2012年6月(撮影:黒木英充)
シドンの海城は、13世紀に十字軍が岩礁の上に築いたもので、石畳の埋め立て通路によって陸地とつながっている。天蓋付き市場空間とフランス風隊商宿も現存し、トリポリと並んでレバノンでは珍しくオスマン時代の旧市街空間が残る都市である。