展示品
36 カアカアエ橋(リタニ川に架かる橋)

 ビラード・ビシャーラでの小旅行を続けることにして,かくも興味深いこの美しい界隈をくまなく知るために,やって来た道からは遠ざかるが,後でまたそれを斜めに横切る道を進んでいこう。すぐに見つけたムタワッリーのガイドを伴って,我々はまずリタニ川(その下流はナハル・アル=カースミーエという名で呼ばれている)の河口へと向かう。我々は川にかかる堅牢な橋を渡ったが,それは古い土台の上に建てられた近代のものである。川の両岸には城砦と隊商宿の廃墟が見える。川の右岸を上流に沿って進むと,まもなく平原が姿を消す。我々の周りにかなり高い丘が現れ,それらはすぐさま,荒涼たる峡谷を抜ける狭隘な水路しか残さないように川を取り囲む。この峡谷は樹木が生い茂る切り立った山腹と,神秘的な深部を覆っている濃い色合いで我々を誘う。しかし,小道はやがて徐々に狭まる奔流の両岸を離れ,道を北の方へと狭めている丘を上り,次いでアルザーイとズィラーリーエの村を通り抜けた後に,カアカアエの集落に向かってその先を延々と下る。この集落から我々は30分でリタニ川に戻るが,岸に沿い続けるのではなくカアカアエ橋(図版36)を渡ってテブニーン城に向かう。この道はカアカアエ橋と同様,ヨーロッパ人の旅行者は滅多に訪れない。テブニーンからやって来てこの道を1842年に通った宣教師のウォルコットがここを最初に知らしめた人物である。かつてリタニ川の渡河は,サファドからテブニーンを経てシドンに至る大街道に位置することから極めて重要であった。橋の東にある廃墟と化した城塞が橋そのものと同様古代ローマの建造物であり,また補修や改築は十字軍によって行われたことがわかるが,その廃墟はこの地方へのあらゆる侵入地点がどれほど頑強に防御されていたかを示している。リタニ川のこの場所には小島があり,それが橋の増築に利用された。この橋がかなり古いことは,取り分け,二つのアーチと橋の北側の側面部から見て明らかである。

古代から幾多の軍勢が地中海沿岸のこの地域を北上・南下した。ベカー高原に源を発するこの小さなリタニ川は、現在もなおイスラエル軍がたびたび北上してレバノンを侵略する際、その渡河如何が注目されて大きな意味を持ち続けている。