展示品
73 アル=アリーハー(エリコ遺跡近くの村)
 川での水浴びと,川辺の木陰の下でとる昼餐で1,2時間の楽しい時を過ごした後,我々は焼けるように暑いエリコの平原を2時間かけて横断する。しかし,アル=アリーハー村で多くの旅行者たちの間で天幕を張る代わりに,今日のアイン・アッ=スルターンであるエリゼオの泉近くの,見事なイナゴマメや樫,それにアカシアがつくる木陰まで逃れるならば,喧騒から遠く離れた心地よい休息と涼しい緑陰が待っている。その上,いにしえの「棕櫚の町」の近くで過ごす一夜は必ずや忘れ得ぬ思い出となるだろう。「信仰によって,7日間まわった後エリコの城壁は崩れた」,そしてまた「信仰によって,娼婦ラハブは斥候をねんごろに迎えたので,不従順な人々と共に滅びなかった」(「ヨシュアの書」6章20,23節,「ヘブライ人への手紙」11章30,31節)のがどこであったのかは最早知る由もない。アル=アリーハーという名がエリコを表しているとは言え,当時の面影はまったく見当たらない。むしろ「棕櫚の町」は西にもう半里,エリゼオの泉の少し南にあったようである。1本の水路と遺跡が(その大半は砂丘の下に埋もれているが),少なくともかつては相当大きな建造物がそこに存在したことを示している。エリコが消えてしまったにしろ,何世紀もの時の流れは周りの平原の様子を少しも変えていない。それは海抜マイナス1000ピエ[約324メートル]以下という低地に起因する,今でも同じ熱帯性の気温である。また,長い棘と細い葉を持つ同じアカシアの木々であり,平原を横切る同じワーディー・ケルトであり,そこで多くの人々が「列王の書上」17章に記されたケリトの奔流を探し出そうと望んだのである。日中の酷暑が過ぎてから,夜鳴鶯たちが夜の音楽会を始め,ガラード山の上に昇る月が我々の国では馴染みのない光り輝く風景を照らす頃合に,生い茂ったイナゴマメの傍らのワーディーの縁まで,或いはミモザの下の芝まで憩いにやって来る旅人は,エリコと近郊の住人たちの満ち足りた享楽的な生活を容易に思い浮かべられるだろう。
■アル=アリーハー(エリコ)市内の現在, 2011年12月(撮影:錦田愛子)
海抜マイナス250メートルに位置するエリコには、1万年の歴史をもつという古代都市がある。遺跡や岸壁に建てられた修道院など観光資源の他に、水に恵まれた土地では農耕も盛んである。日本は数年前から、エリコでの農業団地の建設をJICAの支援事業として推進している。