展示品
54 ナーブルス(シェヘム)とゲリジーム山
 [ナーブルスの]町の描写は我々のデッサンが示している通りである(図版54)。この風景はエバル山の麓からのものであるが,エバル山の形状と様子は,ゲリジーム山のそれらとほぼ同じである。異なるのは,デッサンの中央部に描かれた,川に落ち込むゲリジーム山の峡谷の方が,山の他の部分よりも,とりわけ,岩の多いエバル山の山腹よりも多くのオリーブに覆われていることである。ナーブルスは見事な庭園に四方を囲まれており,その中に隠れている家々はそこに近づくまで目にすることができない。旅行者たちは通常,町の西門近くに天幕を張る。冬ならば,キリスト教徒の住人の家にもっと快適な宿を得られるが,町自体での滞在が少しも心地よくないのは,イスラム教徒の人々から今でも浴びせられる罵詈雑言のおかげである。そういうわけで,モスクに改修されて久しい古代の教会の入り口に見られる,巧みな彫刻を施されたゴシック様式の美しい門以外に,ナーブルスには我々の関心を引くものはない。通りは他のパレスチナ地方と比べて,天蓋のあるところは一般的ではなく,また広くもない。家屋は広大で堅固に建てられている。住民は活気に満ち,てきぱきとしている様子である。人口は8,000から10,000人程度であると思われる。イスラーム教徒の他に,ギリシア・カトリック教徒が約400人,ユダヤ教徒とサマリア人が同程度で約150人,プロテスタントが約50人いる。旅行者はよく,残存している独特な宗派であるサマリア人たちのシナゴーグを訪れる。それは祭司館の中にある一室に過ぎないが,サマリア文字,ヘブライ語,アラビア語で書かれたモーセ5書の写本,また取り分け,ピネハスの息子アビシュアによって書かれたとされている羊皮紙の大部の巻き物は調べるに値するものだろう。もうひとつ興味を引くのが,白いあごひげをたくわえ,長老然とした威厳のある,今の祭司の父親にあたる年老いた祭司である。
■ナーブルス南郊外から町の中心部を望む, 2011年12月(撮影:錦田愛子)
現在のナーブルスは、パレスチナ自治区の中北部に位置する。首都機能を果たす町ラーマッラーに比べて、欧米文化の影響は控えめで、アラブの町並みが色濃く残る。ゲリジーム山の上には今もサマリア人の村があり、イスラエル軍とパレスチナ自治政府の双方により管理されている。