展示品
65 ベイト・ラヘム (ベツレヘム)
 我々は「サムエルの書上」10章2節に出て来るゼルザをベイト・ジャーラー村の中で右側に見つける。15分ほど登った後,我々はついに今のベツレヘム門に着く。図版65はどんな描写にもまして,この場所の位置について教えてくれることだろう。我々の画は,ラケル廟と町の間の,道の左側にある石だらけの丘から描かれている。専らキリスト教徒が住む家は,その造りの堅固さとそこで使われている石灰石の白さによって際立っている。それで十字軍もこの町を「白いベツレヘム」と呼んでいたのである。我々の画では左側にある,町の東の外れに城砦のように見える高い壁を持つ一群の建物が目を引く。それが降誕修道院であり,ラテン・カトリック[西方]教会,ギリシア[東方]正教会,そしてアルメニア[使徒]教会の3つの僧院から成っており,降誕教会と呼ばれる聖堂,また「救い主」の生誕場所であると言い伝えられている洞穴(そこは礼拝堂に作り変えられた)で名高い。伝承はここでもまた誤ってはいないだろうか? 我々はこの厄介な問題の論争に加わるつもりはない。ただ,パレスチナについて造詣の深い或る作家が適切にも,聖家族が泊まった家畜小屋であるとされている洞穴へは,2つの階段,つまり馬や驢馬には通れない道でしか行けないと述べたことを指摘するだけである。それでは,敬虔なルツが落ち穂を拾っていたボアズの畑についてはどうだろうか? 天使たちが羊飼いに「すべての人々のための大きな喜びの知らせ」を告げ,天の軍勢が神を賛美した(「ルカによる福音書」2章8-14節)場所については? その点については少しの疑いもない。恐らくボアズの畑は,丘の狭い頂上の少し傾斜した部分,或いは周辺の谷のひとつにあったのだろう。伝承は,羊飼いたちが家畜の群れを牧養していた野原を,ベツレヘムの南東約半里のところであるとしている。オリーブの木立に囲まれた半地下の礼拝堂がその場所を示している。思うに,その場所の位置と特徴は聖ルカの物語と符合しているようである。
ベツレヘムの聖誕教会は、ヨルダン川西岸地区にある随一の巡礼・観光地である。難民の増加により、町の住民にはイスラーム教徒が増えたものの、キリスト教徒の割合は他の町に比べれば高い。教会の周りには、オリーブの木彫りの十字架やロザリオを売るお土産物屋が軒を連ねる。