展示品
16 アル=ヒバーリーヤの神殿跡
 我々はハースバイヤーの峡谷によって形作られた湾曲部を迂回し,村の南側約1里のところで,最初の谷よりもはるかに深く,まるでヘルモン山の中心にまで食い込んでいるような二つ目の谷の縁に到着する。それが,既に読者諸氏にご覧に入れたワーディー・シェバーであり,その左岸に載っているアル=ヒバーリーヤも同様にお見せした。その町で我々はしばし足を止めて古代神殿の美しい廃墟をじっくりと観察する。ブルクハルトがこの遺跡を訪れた最初の旅行家であるが,我々のデッサンは,彼が言及している柱廊の円柱が今ではその台座しか残っていないこと,また神殿の入り口は(デッサンでは山頂に面している),西側ではなく東側に位置することを証明している。南西の角にある柱形の柱頭にはイオニア様式が認められる。ポルチコの下には貝殻装飾の壁龕が見られ,それらは今でもかなり保存状態がよい。
ブルクハルト(1784-1817)は、英国アフリカ探検協会所属のスイス人探検家。1809年にアフリカに向かうはずだったが、シリア、パレスチナを旅してエジプトで死亡。大量の報告書簡の編纂による『シリアと聖地の旅』(1822)などの旅行記は、貴重な歴史資料として現在も参照される。ファン・デ・フェルデはこの先人の仕事を相当意識していたようだ。