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移動と文化交流から歴史を見る

写本調査で訪れたラーンプルのラザ図書館(2024年3月)

大津谷 馨
(2024年4月特任助教着任)

私は,これまで,アラビア半島西部にあるイスラームの聖地メッカ・メディナを対象に,人々の移動が社会や歴史叙述に与えた影響を研究してきました。私とイスラームの出会いは,幼少期に遡ります。神戸に住んでいた私の家族は,一時期,マレーシアから来ていたムスリム一家と親しくしていました。家を訪ねたときに聖地メッカの方向に向かって一家で真剣に礼拝をしていた後ろ姿をよく覚えています。神戸は,例えば食べ物や街並み一つとっても,海外からの人の移動の影響を大きく受けており,先述の一家も含め,日常生活の中で国や地域の境を越えて往来する人たちと触れ合う機会も多い街です。そのような環境で,私は,様々な宗教・文化や移動,そして歴史への興味を持って育ちました。このような経験が,イスラームの聖地やそれにかかわる移動の歴史への関心の背景になっています。

さて,私がこれまで研究してきた中世のムスリムにとって,聖地への巡礼や参詣は,旅に出る大きな動機の一つでした。特に,知識人にとっては巡礼や参詣の道中で他の地域の学者と交流することも重要で,自ら旅の経験や聖地についての知見を書き著した者たちもいました。聖地の学者社会では,移住してきた学者が先住の家系と結婚して新たな有力家系となることも多く,「移動」は聖地社会の重要な要素だったといえます。中世後期に聖地の歴史を書いた著者たちの中には,このような移民や移民の子孫が多く含まれており,聖地の歴史叙述も,西アジア・北アフリカ各地など様々な地域の伝統の影響を受けていたのです。

私は,博士論文では,このような両聖地への知識人の移動が両聖地に関する地方史叙述に与えた影響について考えていましたが,その中で,逆に,私がこれまで読んできた両聖地の地方史は他の地域でいかに読まれたのかということに関心を持ちました。そこで,現在取り組んでいるプロジェクトでは,中世に書かれたメッカ・メディナに関するアラビア語の地方史書が,時代・地域・言語の壁を越えて,近世のペルシア語文化圏やオスマン朝でいかに読まれたか研究しています。具体的には,中世に著された聖地の地方史のアラビア語写本が近世にいかに流通し受容されたのか,いかにペルシア語やオスマン語に翻訳されたのか,このような活動はいかに人々の移動と連動していたのか,そして,このような交流はオスマン朝期の聖地の歴史叙述にいかなる影響を与えたのかに興味を持っています。研究に着手したばかりでまだ分からないことが多いですが,AA研という恵まれた環境で,様々な分野の専門家の先生方・皆様に教えを乞いつつ,できるだけ現地に足を運び,このプロジェクトを進めていくのを楽しみにしています。


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