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Introducing New Staff 73

古いものからあたらしい智慧を受けとる

タイの道端にてお供えする花飾りを作る二人の女性

本田 直美
(2021年8月研究機関研究員着任)

私は京都の美術大学で服飾のコースを専攻していました。技術の面では服飾の専門学校と同じように服のパターンの引き方や,立体裁断,ミシンでの縫製など基本的なことを学びました。そういった服を作るための技術だけでなく,座学の授業も多かったので私の知識と興味はそこでたくさん培われました。京都の海沿いの田舎から出てきた私にとって,世界にはまだまだ知らないことがあるのだと,一気に視界が広がりすぎて怖くなったほどでした。 とくに私が興味を惹かれた科目は生命論や現代科学論など,人間が「生きていること」とは何かを探求するための授業でした。自分の専門である服飾と繋げて思考し,人はなぜ服を着るのか,服とはなにか,そのような素朴な問いを,作り,着てみる,という実践の中で,自ら体験することが私にとっては重要でした。
そうやって学んでいく中で,世界の民族衣装や,様々な民族の風習を見たりしているうちに,自分の今の生活とは全く違う価値観の中で生きている人々がいて,初めて見る文化に触れることをおもしろく感じました。

大学で勉強していた服飾デザインは,服の作り方なども西洋の歴史に倣ったものでしたが,私の興味は民族衣装や舞台衣装などの日常を離れた衣服の装飾にありました。民族衣装は変化を伴いながら代々受け継がれてきたもので,そこには一人の人間が考えるだけでは掴みきれない,とても深い歴史を感じさせました。誰が作りはじめたのか,今となってはわからないけれど,今も歴史の価値あるものとして残り続けている,人々の意識の集合体としての結晶に畏敬の念を抱かずにはいられません。

とくにアジアの民族衣服に興味を持ったのは,自分が日本人で,アジア圏にある程度近い感覚で衣服の美しさに共感できたことも理由の一つだと思いますが、「人はなぜ服を着るのか,服とはなにか」と問う私を惹きつけたのは,動きやすいように作られた現代の衣服の合理的な機能に対して,民族衣装に見られる重たいビーズや刺繍,刺青などの過剰な装飾や色や形があることです。学生時代には和服をもとにした衣服も制作しましたが,現代に生きる人にとって和服の過剰性を新たに展開させることはなかなか難しいことでした。

その過剰性を外部からやってくる変化する環境と捉え,卒業制作では自分の意思とは違う,予測できない動きをするカビに着目し,衣服にカビを生やすことによってカビの模様を装飾として取り込む衣服を制作しました。このような自分の経験と,興味のあることをつなげて,衣服そのものが生きているような服を研究・構想したいと思っています。

私はもともと研究者ではないので,この仕事に就いたことで畑違いな場所に来てしまったのではないかと,不安に思うこともありました。しかし、違うフィールドから来たからこそ新しい挑戦ができるかもしれません。これまで自分の世界を広げてくれた様々な知識は,研究者によるたくさんの写真や資料によって支えられてきました。それを,共に発信する側として表現することやお手伝いができることをとても嬉しく思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。


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