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Introducing New Staff 1

偶然の出会いに導かれて

津田 浩司(2010年4月助教着任)

出会いというのは不思議なもので,予期せぬ形で訪れる。事後的に振り返ればそれが必然に思えてくるから,なおさら不思議である。

私がインドネシアの華人に関心を持つようになったのは,1998年5月,スハルト体制末期のジャカルタで起きた反華人暴動を伝えるニュースを目にした時が初めてであった。当時東京大学教養学部で漫然と文化人類学を学んでいた私は,偶然テレビに映し出された黒煙立ち上る街の光景を目にし,「なぜこんなことが?」と素朴に衝撃を受けたのだ。爾来10数年にわたり,インドネシアの華人研究に携わり続けている。

この国の近現代史において,華人の存在はしばしば「問題である」と語られてきた。無論問題構成は様々な形を取り得るのだが,しかししばしばあらゆることが華人が持っている「華人性」なるものに帰着して語られ,さらには「華人はケチで閉鎖的だ」などといったクリシェが独り歩きすることで,かえって「華人である」とされる人たちの実態が見えにくくなってきた感がある。私はこの国の華人たちの生の姿が知りたいとの漠然とした思いから,2002年4月,古くから華人が定着したことで知られるジャワ島北海岸での長期調査に向かった。

当初は,具体的にいずれの町を拠点とするか決めていたわけではなかった。前年には下調べとして,北海岸の街々を転々と見て回りはしたが,決め手が得られていなかったのだ。そこでまずは語学習得を兼ねて,数カ月間内陸の大学街ジョグジャカルタに滞在したのだが,そこの下宿先の大家の華人女性が,たまたま北海岸の港町ルンバン(Rembang)の出身だという。聞けばまだ同地に親戚もいるとのこと。ルンバンには前年の旅の最後で訪れ,小奇麗で小ぢんまりとし,まるで時間が停まったようにのんびりした町だという印象が記憶に残っていた。「あそこなら人もヒマそうだし,規模的に調査もやりやすいかもしれない。」今から考えればひどくいい加減な理由だが,私は早速大家の親戚の住所が書かれた紙片を握りしめ,再びルンバンの町へ赴いたのだった。

その後の1年半,私は大した娯楽施設もないこの町で,不思議と退屈することもなく,充実した調査生活を送ることができた。時には濃密過ぎる人間づき合いに辟易させられもしたが,そのぶん,この国において「華人」として生きることがどういうことなのか,そしてローカルな文脈で「華人であること」の様々なあり方・現れ方を,じっくりと見ることができた。今ではこの地をフィールドにしたことが正しかったと確信している。

ここ最近は,ルンバンでの知見を対象化させる意味で,インドネシア各地の街々を回り,華人の信仰実践の比較研究に取り組んでいる。昨年はその一環で,ジャワ島・バリ島内に点在する寺廟を60カ所ほど回った。このたび運良くAA研に職を得られたのも,きっとそのご利益あってのころだろうと,巡り合わせに感謝している次第である。


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