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Introducing New Staff 45

ベンガルのフィールドからのめぐり合い

外川 昌彦
(2016年4月准教授着任)

私のフィールドである南アジアのベンガル語文化圏は,ガンジス川水系の肥沃な水稲耕作地帯を擁し,ムガル時代には穀倉地帯として知られるなど,歴史的に豊かな土地でした。近代のイギリスの植民地統治によってカルカッタに首都がおかれ,植民地支配の要衝となることで,早くから西洋文明との接触の窓口ともなり,19世紀にはインドの民族運動をリードする,多数の知識人を輩出します。

しかし,その後の植民地支配とそれに対抗する独立運動の様々な政治過程によって,ベンガル地方は二つに分断され,ヒンドゥー教徒が多数派を占める西ベンガル地方はインドの一部として独立し,ムスリムが多数派を占める東ベンガル地方はパキスタンの一部として独立し,今日のバングラデシュになります。宗教を利用した植民地統治策を通して地域は分断され,現在では異なる二つの国民国家として歩んでいます。

1947年の印パの分離独立とそれに伴う宗派暴動では,1千万人の難民と100万人を超える犠牲者を出し,1971年のパキスタンからのバングラデシュ独立戦争では,やはり1千万人の難民と100万人にも及ぶ犠牲者を出したとされます。そのためバングラデシュは,戦後のアジアの新興国の中でも,政変と飢饉を繰り返す最貧国として知られるようになります。

もともと,私は卒業論文ではインドのカースト社会をテーマにしたので,大学院では西ベンガル州の村落で住み込み調査を行い,ヒンドゥー社会の構造について博士論文をまとめました。ただ,多様な宗教文化が共存するベンガル地方への理解を深めるためには,その歴史的な背景に目を向ける必要性を痛感し,その後は主なフィールドをバングラデシュに移すことで,関心領域をイスラーム文化の展開へと広げてゆきました。

バングラデシュの建国の歴史は浅く,NGOや開発と民主化などの新興国としての課題も多く,様々なプロジェクトを通して地域研究の課題に関わる機会が増えました。同時に,南アジア世界の歴史的な奥行きは,中世のスーフィー思想やヒンドゥー教のチャイタニヤの運動,基層文化としての古代仏教の影響など,その歴史文化の広がりには尽きない魅力がありました。その結果,自分としてはベンガル研究に専念している積もりなのですが,何をテーマにしていのるかよく分からない,と言われることも多くなりました。

私が初めてAA研の門を叩いたのは,1989年のベンガル語夏季研修の時で,タゴールやラーマクリシュナなどのベンガルの思想家の翻訳でも知られる,言語学の奈良毅先生が講師を担当されました。当時,AA研には,バングラデシュ研究では草分け的存在でもある文化人類学の原忠彦先生がいらして,学際的なプロジェクトを次々と推進されていました。

私は大学院に入りたてで,まだ研究の方向性も何も分からない状態でしたが,このベンガル語研修が切っ掛けになってベンガル研究の門を叩き,様々な紆余曲折や貴重な出会いに導かれることで,気がつくとまたAA研の入り口に立っていることに,不思議なめぐり合わせを感じています。


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