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Introducing New Staff 76

人類社会と文化の変容を長期的な尺度で捉える

オマーン北部・タヌーフ峡谷の朝焼け

黒沼 太一
(2023年4月助教着任)

私は南東アラビアのオマーンをフィールドに、社会や文化の変容と連続性について考古学的視点から研究しています。アラビアの砂漠気候に人々がどう適応し、持続可能性を維持しつつ文化や社会をどのように変化させたかを読み解くことで現代社会の諸問題に対して得られる知見を探ってきました。

古代から現在まで、オマーンでは主に水や食糧資源に比較的恵まれた砂漠縁辺のオアシスや海岸に人口が集中し、その一方で各地をつなぐネットワークによって文化が伝達・共有されていたと見られます。考古学的に見ると、紀元前2千年紀終盤(前期鉄器時代)には、ラクダの家畜化とそれに伴う長距離交易ネットワークの構築、城塞を伴うオアシス集落の出現、地下水路(ファラージュ)を利用したオアシス灌漑農耕の開始などの点と線を構成する諸要素が形成され、伝統的なアラブ社会の基盤が徐々に形成されたとされます。

しかしオアシスなどにおける証拠と比べると、線に当たる移動の痕跡は多くありません。古代より南東アラビア一円の社会や文化の一体性を支えたものは遊牧・交易などの移動によるネットワークの維持であり、その証拠の探索が肝要となります。移動は地理的条件に依拠しますが、特に山岳地帯では通行しやすい場所に経路が集中し、痕跡を読み取りやすいと考えられます。私がフィールド調査を行っているオマーン北部のハジャル山脈(2000〜3000m級)の山麓部にある峡谷は、移動や付随する土地利用や景観の形成・変容を長期的に捉えるための格好の場所と言えます。

フィールド調査では、紀元前4千年紀の新石器時代からイスラーム期に至る各時代の様々な人類活動の痕跡を見つけてきました。例えば洞穴からは紀元前2千年紀前半(中期青銅器時代)のデーツが当時の土器とともに出土したほか、比較的近年の遊牧の痕跡もあり、長期に亘って人々が断続的に逗留していたことがわかりました。また、往時の道を示すかのような紀元前3千年紀の円塔墓群やイスラーム期建築の分布、様々な時代の岩絵を確認しました。こうした痕跡から景観をより深い文化的コンテクストの中で理解しながら復元しようとすると、リモートセンシング技術の導入などによる考古学的アプローチの開拓だけでなく、歴史学や文化人類学・言語学・宗教学・建築学などの隣接諸分野との連携が必要になります。様々な情報をまとめるためには人文情報学的手法の活用が有効であり、協働して多様な観点から調査地における人類文化を研究するためのデータリソースや様々な調査地に適用可能な汎用性の高い枠組みの構築を試みたいと考えています。空間を、物質文化だけでなく、人々の記憶や認識・観念・伝承・伝統知あるいは所作といった形に残らないことを繫ぎ止め継承・変容していく媒介と捉え、諸分野連携して景観や社会を復元することで、古代から脈々と継承されてきた南東アラビアにおける現代社会の淵源を探っていきます。


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