寺の境内の大木に供え物をするジャン
大村 優介
(2024年1月研究機関研究員着任)
私にとって研究のフィールドは,突如目の前にやってきたようなものでした。文化人類学のフィールドワークでは,当初携えていた問いや研究関心が,フィールドに身を浸す経験を経て変容し,新たな問いを生むところに醍醐味があるとしばしば言われます。2019年からラオスの首都ビエンチャンで調査を始めた私も問いの変容を大いに経験したのですが,そのきっかけとなった出来事は,意外な形で訪れたものでした。
当初私は首都に住むゲイの人々のネットワークについて調査を行おうとしており,ゲイの知り合いを作る過程でジャン(仮名)という人と仲良くなりました。知り合って数か月ほどしたある日,ジャンは私が一人で住んでいたアパートの部屋に居候を決め込み,荷物を勝手に持ち込んで生活し始めます。そして仕事や買い物,友人や親戚と会う用事などに私を連れていくようになり,私も彼の動きに付いていくようになりました。彼の生活の様々な場面に同行し,彼の勧めるものを食べ,彼が見つけた場所に引っ越し,生活の隅々まで彼のこだわりに付き合う日々を過ごすようになり,それが私のフィールドワークになったのです。
それから一年と少しが経ち…。その間に私は,彼が13歳の時に母を失ったことや,ゲイであるために親戚の元に居づらくなり18歳で隣国タイに渡ったことなど,彼の生い立ちについて様々なことを知っていったのですが,コロナ禍で仕事を失ったジャンは体調を崩してしまいます。その後彼が入院して家にいない時,私は辛い気持ちを紛らわせる意味もあって,あるコンテンポラリーダンスの公演を観ました。7人の踊り手による,「プーニン」(※ラオス語で「女性」という意味)という題のその作品は,女性が生きることの喜びや苦しみ,女性の中の多様さを伝えてくるものでした。ダンサーたちは時に窮屈にもがき,時に各々の身のこなしで軽やかに舞い,高らかに笑います。この作品を観た時,私はそれまでのジャンとの暮らし,ジャンの複雑な生い立ち,元気な時のジャンが軽快に冗談を言って笑う姿,そしてそのようなジャンと葛藤や逡巡を繰り返しつつ関わってきた自分のこととすぐにリンクし,「これは私たちのことだ」と直感的に感じたのでした。
この経験が残した鮮烈な印象が,私が近年行っている研究に結びついています。それは,人間の生を「表現」として捉えるというものです(M・フーコーの後期の著作における「生存の美学」の議論などをヒントとしています)。私たちが生きていることの中には,何らかの美しさや良さ,心地よさを求めたり,何らかの理想を体現するように振る舞いを変容させたり,他者や環境と関わり,影響を与え合ったりする場面があります。そのような重要でありながら捉え難い局面の数々を「表現」と呼んでみて,人類学的な思考の対象にしようというのが,私が試みていることです。
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