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Introducing New Staff 26

人の繋がり――日本・ポーランド・タンザニアとこれから――

阿部 優子
(2013年8月特任研究員着任)

私は学部・修士・博士課程のすべてを東京外国語大学キャンパスで過ごしてきた,根っからの外大生です。語学が好きで,「辺鄙な」外国が好きで,人が好きで,そして行き着いたのがアフリカでした。学部・博士前期課程は,ヨーロッパはポーランド語を専攻していました。ポーランド語からアフリカへ転身したと奇妙に思われることがありますが,フィールドで言語調査をされている研究者には多言語を自由に使いこなされる方が多いので,たかだかポーランド語と東アフリカのバントゥ諸語を少しかじっているくらいでは,まだまだです。それに,ポーランドであろうとタンザニアであろうと人々は繋がっているので,私自身はとても自然なことのように感じています。

私は1996年から2年間,ワルシャワ大学に留学していました。目的は「ポーランド語研究」でしたが,修士1年で研究とは何かもよくわからず,すぐに目的を見失いました。ワルシャワでは大学院生用の留学生会館に暮らしていましたが,その頃,大学院生で留学生というと半分以上がアフリカ大陸からの学生でした。社会主義体制下では,第三世界,すなわち「後進の」アフリカやアジア諸国(日本も含む)からの留学生を多く受入れていたためです。1989年にポーランドの政治体制は変わりましたが,依然として留学生にはアフリカ人が多かった。特に大学院生に多かったのです。

ポーランドではポーランド語が溢れていて,ちっとも珍しくない。どこか違う,もっと辺鄙な場所へ行きたい…という想いがふつふつと湧き上がってきたところに,多くのアフリカ大陸からの友人ができ,まだ見ぬアフリカへの憧れを募らせていきました。今思えば,政府給金の奨学生としてポーランド語研究をしに行ったはずが,契約違反もいいところです。ただ運良く,ワルシャワ大学には伝統ある「アフリカ専攻」があり,教授陣の中にはアフリカ諸国の大使をつとめた先生,タンザニア・エチオピアからのネイティブ講師もいて刺激的な学科だったのです。私はそこで学部生に混ざって授業を受け始めました。先生方からは,AA研の研究や研究者のお話をたくさん伺いました。おなじ東外大にいながら,まったく知らなかったAA研の世界を,ワルシャワのポーランド人研究者から教えてもらいました。

帰国後,東外大の博士後期課程でAA研の梶茂樹教授(現京都大学)に,ちゃっかりご指導いただくこととなり,タンザニアでの未記述言語調査の機会を得ました。ただ,そこでも漫然とタンザニアに飛び込んだわけではありません。ワルシャワ時代のタンザニアの友人たちの多くが学位取得後に帰国していて,私の調査をしっかりバックアップしてくれたのです。

世界のどこへ行っても,きっと人はどこか繋がっている。知り合いの知り合い,そのまた知り合いかもしれない。そんなご縁を大切にしながら,これからも研究対象世界を広げたいと思います。


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