苅谷 康太(2012年4月助教着任)
学部生の頃,とある本を読んでいて,西アフリカのセネガルにはムリッド教団という何だか面白そうなスーフィー教団(イスラーム神秘主義教団)があるらしい,しかも,その開祖のアフマド・バンバという人はアラビア語の著作を沢山書き残したらしい,ということを知りました。当時の私には,「西アフリカ」と「イスラーム」という取り合わせ,更には「西アフリカ」と「アラビア語」の取り合わせが何とも不可思議で,それ故に魅力的に思えました。その頃,偶然アラビア語の勉強を始めていたこともあって,とにかくその開祖のアラビア語著作を読んでみようと思い立ちました。あまりに単純すぎるその思いつきに突き動かされて探してみたものの,勿論,そんな著作は,日本の書店にも図書館にも置かれていません。それならば現地に探しに行くまでと考え,まずはアラビア語をもう少し勉強するためにエジプトに1年間だけ滞在し,その間に,初めてセネガルを訪れることになりました。
首都ダカールの中心部の通りを歩くと,路上のあちらこちらで,バンバを始めとする数多の宗教知識人のアラビア語著作が売られています。また,こうしたアラビア語書籍を専門で扱う書店も数多く見られます。そして,ムリッド教団の聖都トゥーバにある図書館に行けば,浩瀚なバンバの著作集が書棚いっぱいに並べられています。こうした光景を目の当たりにした時,「西アフリカ」「イスラーム」「アラビア語」という取り合わせの違和感は消散し,自分の研究の方向が決定しました。
刊本として市場に流通している著作は,西アフリカのイスラーム知識人達がものした膨大な量の著作群の一部です。その向こう側には,今日でも写本の形でのみ存在している数多の著作が控えています。これだけの「遺産」を有する西アフリカの宗教的・知的世界の様相を,この「遺産」の読解を通じて描写すること,これが私の研究の主要な課題です。具体的には,西アフリカの宗教知識人達の著作群の分析によって,彼らが如何なる師の許で学び,如何なる著作を渉猟してきたのかという情報を集積し,そこから,北アフリカや西アジアをも包含する広大な空間に張り巡らされたイスラーム知識人達の宗教的・知的連関網を描写しようと試みてきました。この研究は,西アフリカおよびその周辺地域におけるイスラーム社会のより精緻な理解を目的とするだけでなく,サハラ以南アフリカとそれより北の地域とを分断する従来の地域区分を相対化すること,そして,今日一般に流布している種々の「西アフリカ」像,もしくは「アフリカ」像に揺さぶりをかけることをも目的としています。
最近では,アラビア語資料だけでなく,アラビア文字を使って書かれた現地語資料にも手を伸ばしています。また,これまで進めてきたイスラームを軸とする研究の結果を踏まえつつ,イスラーム以外の信仰体系も包含した形で,より広く西アフリカの「宗教」とその歴史,もしくはそれを取り巻く社会について考察できればと思っています。
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