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Introducing New Staff 49

寄り道の研究人生

細田 和江
(2016年4月特任助教着任)

そもそも私が中東地域に興味を持ったのは高校時代の世界史でした。佐藤次高先生のゼミ生で,パレスチナ研究を志したことのある世界史の教師がクラス担任だったことがすべての始まりだったのかもしれません。

大学に入ると,片倉もとこ先生や岡田恵美子先生の授業で中東文化の豊潤さに触れることでその興味は一層増しました。そして,文字に惹かれてなんとなく履修した第二外国語のアラビア語で奴田原睦明先生と出会い,先生が訳されたガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って』を読んだことがその後の進路を決定づけました。

パレスチナ問題を研究する際,政治的な事象や歴史的な問題を検討することはもちろん重要です。けれども,紛争地域で生まれた文学や文化が何を描き,それがどう人びとに読み継がれているのか,さらにはその地に住む人が実際に生を「生きて」いるのかなど,大きな枠組みからこぼれ落ちてしまう「些細な」できごとについて目を向け,それを語ることこそが私のしたいことだと気が付きました。

大学院に進学したときまでは,アラビア語で書くパレスチナ人作家を研究するつもりでした。入学後,思うように研究を深めることができずに悶々としていたとき,イスラエル領内にもパレスチナ人がいて,彼らが書いたヘブライ語文学に行き当たりました。なかでもアントン・シャンマースの『アラベスク』(1986年)は,美しいヘブライ語で,歴史の渦に巻き込まれていった伝統的な社会に生きる市井のパレスチナ人を描いた作品でした。パレスチナ文学が「抵抗文学」として悲劇的なテーマを扱ったものが多かったのに対し,パレスチナ人によるヘブライ語の文学は「どちらの側にも属すことができない」名もない人びとの「悲喜劇」が表現されています。イスラエル,パレスチナの双方に対して複雑な感情をもった人びとが母語以外の言語で小説を書く世界,それはどんなところなのか?この出会いが結果的に研究の主言語をアラビア語からヘブライ語に変えるきっかけとなりました。

今から10年ほど前,日本でヘブライ語を学べる機会がほとんどありませんでした。そのため,とりあえず文字と初歩的なあいさつのみだけおぼえて,エルサレムのヘブライ大学の語学研修に参加しました。それまでイスラエルのことを何も知らないまま渡航したので,ユダヤ教について,聖書についてなどほとんどがその夏季講座で学びました。イスラエルは移民国家であり,移民への語学習得プログラムは大変機能的にできています。そのおかげか,ヘブライ語を短期集中して学ぶことができました。その後,イスラエル政府奨学金を受けてハイファ大学に留学,語学力に磨きをかけ,現在はイスラエルとパレスチナの文学・文化研究にいそしんでいます。

今思うと,私の研究はその時々の出会いで生まれたものがほとんどです。実際,留学中にふらっと立ち寄ったファラフェル屋(ヒヨコ豆のコロッケをはさんだパンを売る軽食屋)のおじさんから聞いた話に端を発して論文を書いたこともあります。

寄り道をしながら自分の研究を探して今回,AA研にたどり着きました。ここでの出会いが新たな研究の発展につながることを願いつつ,日々精進していくつもりです。 


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