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Introducing New Staff 46

中央アジアの歴史と多言語史料


とくになにもないカザフスタンの草原

野田 仁
(2016年4月准教授着任)

旧ソ連の中央アジアと中国新疆ウイグル自治区をフィールドにしています。なかでもカザフスタンの歴史が中心的なテーマです。この地域に関心を持つようになったきっかけはいくつかあってどれとも言えませんが,「研究」的な関心が芽生えたのは,最初にこの地域を旅したときではなかったかと今にして思います。

何となくソ連的な雰囲気も残るような1997年に中央アジア・新疆を訪れた際,入国手続きから始まってもっともうまくいかなかった国がカザフスタンで,実は印象も良くなかったところでした(もちろん学部生だった私には知識も語学力も乏しく,そもそも初めての海外であり,経験不足に尽きるのですが)。それ以来,私はその体験を払拭すべく彼の地へ通い,かかわり続けているのかもしれません。

さて,その後,博士課程在学中に2年間カザフスタンに留学する機会を得ました。留学とは言っても,おもな活動は文書館で史料を見ることでした。19世紀に焦点を絞ってロシア帝国の行政文書を漁っていたわけですが,その中にはカザフの支配層からの手紙がそれなりに含まれており,さらに興味深いことに隣接する中国(当時の清)との交渉の跡を見出すことができました。ロシア関係の史料群としても,当地の文書館はかなり小規模な史料を有するに過ぎませんが,カザフをめぐるロシア・中国の外交関係-ローカルな両国の接触―の視点からカザフスタンの歴史を分析する上で,むしろこうした文献が存在する現地に滞在し研究することができたのは,恵まれた環境でした。このときテュルク語,満洲語,漢語,モンゴル語などの多様な言語で記された文書史料に触れることができたのは幸せな時間だったと言うほかありません。言うまでもなく現地の人たちとのつきあいも強く心に残っています。

前後しましたが,カザフ人はかつて遊牧生活を営んでおり,文字で記録を取ることにそれほど積極的ではありませんでした。つまり文字史料・文献がきわめて限られているわけです。そのような状況にあってはむしろ考古資料の方が豊富にあると言えるかもしれません。一度だけ現地研究者の考古学調査に同行して石人(古代の石像)の発掘現場に行ったことはありましたが,炎天下になんと帽子を持参することを忘れてひどくダメージを受けた苦い思い出しかありません。

結局,上のような文書史料の分析を続けて今に至っています。カザフスタンを含む中央アジアは,その地理的な条件から,大国に挟まれ,それらとの関係に腐心することが稀ではありませんでした。私自身の関心は,時間を少しさかのぼった所から,中央アジアと東西の帝国との関係を考えることにありますが,それだけではなく―たとえば展開しつつある中国によるシルクロード構想などを念頭に置いて―現代ユーラシアにおける国際関係の動き・中央アジアの位置づけも考えながら,最初の訪問時に抱いたさまざまな疑問の解答を探して続けたいと思っています。


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