共同研究プロジェクト
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マルセル・モース研究 ―社会・交換・組合―
研究実施期間 : 2006年度~2009年度

主査  真島 一郎

概要
 

 本プロジェクトでは、フランス社会学・民族学の基礎をきずいたマルセル・モースの業績を、書評・時事論説・講演録・未定稿なども含めた、そのほぼ全作品について横断的に吟味しながら、個人と国家のはざまに位置するものとして構想された「社会societe」とは何であり、また何でなかったのかを、今日の視点から再検討する作業がめざされている。

 とりわけ、学問形成期のサンスクリット研究から20世紀転換期の供犠論、呪術論をへて、やがて『贈与論』(1925年)で表明されることになる「交換」の民族学的モティーフが、同じ両大戦間期(=第三インターナショナル/コミンテルン期)に発表された一連の協同組合論、ボリシェヴィズム論、暴力論、ナシオン論などと、また他方における個体論、身体論、人格論、技術論などと、「社会」学的次元でいかなる理論的連関により繋がれていたかが、共同研究の中心的論点となる。

 『民族誌学の手引き』の著者は、法・道徳・貨幣・革命のかなたに、どのような凝集力をそなえた「社会」の姿を夢みていたのか。それはまた、今日のアジア・アフリカ諸国における「社会」の動態と、なんらかの接点をもちうる夢だったのか。



2006年度

 
研究会

 2006年度第2回
 日時 : 2006年11月6日(月) 13:30~18:00
 場所 : 東京外国語大学本郷サテライト5階セミナールーム
 プログラム :
  1) 関 一敏
    「第一期(1899~1914年)の業績をめぐる研究の展望」
  2) 渡辺 公三
    「第三期以降(1925年~)の業績、および書評文約400点の読解をめぐる研究の展望」

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 2006年度第1回

 日時 : 2006年7月22日(土) 13:00~18:00
 場所 : AA研小会議室(302室)
 プログラム :
  真島一郎(AA研)
   共同研究の趣旨および初年度の作業内容
  渡辺公三(立命館大学文学部)、真島一郎(AA研)
   「「社会」を問うことの今日的意義―デュルケムからモース」

【報告の要旨】

1.共同研究の趣旨および初年度の作業内容

 報告の冒頭で、真島と渡辺が2004年末より折にふれ温めてきた共同研究計画の指針、すなわちマルセル・モースの人類学的思考を同時代の状況という水平的次元、および古典文献学からフィールドの学への転換という垂直的次元の交差する場所から総合的に捉えなおし、西欧の思想潮流のひとつの重要な結節点として位置づけるという研究目標のあらましが確認された。

 本共同研究では、したがってマルセル・モースという知の足跡を「民族学的」業績と「政治的」論説といった分類の恣意により切断することなく、代わりに20世紀転換期から1950年の死に到るまでの彼の思考をクロノロジックに暫定区分する方針が優先される。具体的にそれは、1899~1914年にかけての第Ⅰ期【社会主義行動論、供犠論、ドレフュス論、ボーア戦争論、分類論、呪術論、「祈り」、原始貨幣論】、1920~1925年にかけての第Ⅱ期【ナシオン論、為替論、暴力論、ボリシェヴィズム論】、1925~1930年にかけての第Ⅲ期【贈与論、文明論、冗談関係論、ピカソ論】、1930~1944年にかけての第Ⅳ期【社会的凝集論、個体論、身体技法論、人格論】、そしてポルムの編集になる講義録『民族誌学の手引き』が公刊される最晩年1947~1950年の第Ⅴ期という、作業上の時期区分である。

 このうち真島は、一例として第Ⅱ期の5年間でモースが発表した全146篇の論考(書評を除く)のうち、稿量の多少や従来の学問的評価に必ずしも囚われない独自の評価基準で、当該時期区分の基幹論考にあたる38篇(稿量総計:約13万7千字)を選定した。この作業データをもとに討議した結果、本プロジェクト共同研究員のうち、第Ⅰ期については関が、第Ⅲ期以降については渡辺が、今年度中に同様の作業結果を報告し、また膨大な数にのぼる書評文については、泉がデータ内容の種別を図ることが決まった。

 いずれにせよ、上記作業はマルセル・モース研究の全容を鳥瞰するうえでは不可避のものである。この作業段階を経たのち、今年度から次年度の前半にかけては、各自担当の時期に特化したモースの思考について、基幹論考を中心に報告しあう方針が確認された。       (真島一郎)

2.『社会』を問うことの今日的意義-デュルケムからモースへ

 渡辺と真島の二名からなる共同報告のうち、まず後者は、マルセル・モース研究の助走として最近単独で発表した「中間集団論」(『文化人類学(旧称:民族學研究)』第71巻1号所収)の概要、およびそこでの考察とマルセル・モース研究との理論上の接続可能性について報告した。ここでいう中間集団とは、モースの叔父デュルケムの国家論で鍵鑰をなす概念「二次的集団groupe[ment]s secondaires」の、コーンハウザー社会学を経由した今日の通称である。フランス社会学派の創始者デュルケムによる19世紀末の社会工学、およびその継承者マルセル・モースの思考とあわせて今日再考されてよいのは、次の二つの問いである。第一に、今日の文化人類学は、国家ないし市場との関わりで社会という概念の内実をいかに捉えうるのか。第二に、個人でも国家でもない「社会的なるものle social」としての集団や集合行為をめぐる考察範囲の拡張が、文化人類学と隣接諸学との制度的な境界画定にとどまらぬいかなる変化と転回を今日の人類学的思考にもたらすのか。国家、市場、モラル、知識人といった概念群の周囲を旋回していたデュルケムからモースにいたる思考の足跡を、これら二つの問いかけは今日の視点から再考する試みにつながる。

 続く渡辺は、1920~1930年代にかけてフランス社会党やベルギー労働党学生組織との接点をもった青年期レヴィ=ストロースの動向を例にあげつつ、「構築的革命Revolution constructive」結成前後における当時の社会思潮とマルセル・モースとを連絡させることの可能性について報告した。とりわけ、当時の高等師範社会主義研究グループにおける中核的な群像には、ジョルジュ・ルフランやシャルル・ジッドなど、協同組合活動を通じて「社会的なるもの」の復権を図った社会運動家モースとの繋がりが浅からぬ人物もみられる。フランス社会学派流の社会工学がモースへと継承されていくこの両大戦間期が、同時にまた、構造主義人類学出現のいわば前史とも部分的に重なる事実は、構造主義の圏内でひとは「社会的なるもの」をいかに思考し、また語りうるのかという別様の問いに気づく端緒ともなるだろう。
 デュルケムからモースへ、さらにモースからレヴィ=ストロースへの軸線に沿うことで望見される両大戦間期フランスの「社会」主義ないし「社会」学的思潮について、本共同報告では、その後他の共同研究員もまじえ活溌な討議がなされた。                     (真島一郎)




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プロジェクト・メンバー
[主 査] 真島一郎
[所 員] 
深澤秀夫、高島淳
[共同研究員] 泉克典、小杉麻李亜、関一敏、渡辺公三