共同研究プロジェクト
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言語の構造的多様性と言語理論
研究実施期間 : 2005年度〜2009年度

主査  中山 俊秀

概要

 「語」は人間言語に普遍の重要な構造単位・ドメインであることは異論の余地のないところである。しかしながら、最近よく見られる統語法中心の言語研究の中では、「語」といえば、それが対外的に持つ統語機能にのみ関心が払われ、「語」に直接焦点が当てられることはあまりなかった。これまで広く研究されてきた西欧大言語では、文法体系における統語法の機能的役割が比較的大きいことも、この研究上の偏りを後押しした部分であろう。

 そこで、本プロジェクトでは、形式的単位としての「語」について通言語的に適用しうる定義を確認し、そのうえで、「語」が通言語的に見せる構造的多様性(内的構造の組み立て方・複雑さについての多様性)および機能的多様性(統語法との間の役割分担のあり方の多様性)の幅を探る。さらに、そこでの議論を基盤に、、文法システムにおける形態法の位置づけ、形態法と統語法との関係という一般言語理論上の問題を考えていく。



2006年度

 
研究会

 2006年度第3回
 
日時 : 2006年10月21日(土) 10:30〜17:30
 場所 : AA研マルチメディア会議室(304室)
 発表者 : 風間伸次郎(東京外国語大学外国語学部)
        渡辺己(神奈川大学)
        江畑冬生(東京大学)(研究協力者)
        山越康裕(日本学術振興会特別研究員)(研究協力者)
 研究協力者 : 阿部優子(AA研)、蝦名大助(明海大)、加藤重広(北大)、沈力(同志社大)、
           塚本秀樹(愛媛大)、永井佳代(京大)、永山ゆかり(北大)

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 2006年度第2回(記述コミュニティー構築部会)

 日時 : 2006年7月15日(土)・16日(日) 10:00〜18:00
 場所 : AA研マルチメディアセミナー室(306室)
 報告 :
  1.蝦名大助(明海大学・非常勤講師) 
   「趣意説明および『クスコ・ケチュア語における名詞化の概要』」
  2.山越康裕(日本学術振興会特別研究員・北海道大学)
   「シネヘン・ブリヤート語の名詞(類)化」
  3.松本亮(京都大学大学院)
   「エヴェンキ語における名詞化」
  4.永山ゆかり(北海道大学スラブ研究センターCOE研究員)
   「アリュートル語の名詞化」
  5.笹原健(東京大学大学院)
   「上ソルブ語における名詞化の概要」
  6.山田敦士(北海道大学大学院)
   「パラウク・ワ語における名詞化現象」
  7.永井佳代(京都大学文学部COE研究員)
   「シベリア・ユピック語の名詞化」
  8.渡辺己(香川大学経済学部教授)
   「スライアモン語の品詞と名詞化について」
  9.中山俊秀(AA研)
   「ヌートカ語における名詞化」

【報告の要旨】

1.趣意説明および「クスコ・ケチュア語における名詞化の概要」

 一般に言語には品詞の区別があると考えられるが,多くの言語がまた,品詞を変える形態統語論的方策を持っていると考えられる。本研究会では,そのような方策の一つとして,動詞を名詞に変える方策(名詞化)について,各発表者が個々の言語について発表した。
 名詞・動詞の区別が形態論的に比較的はっきりしている言語(シネヘン・ブリヤート語,エヴェンキ語,シベリア・ユピック語,上ソルブ語),一部形態論に共通部分が見られる言語(アリュートル語),統語論的に区別できる言語(パラウク・ワ語),区別が難しい言語(ヌートカ語,スライアモン語)といった,様々なタイプの言語について議論が行われた。
 クスコ・ケチュア語は,形態論的に名詞・動詞の区別がはっきりしている言語である。そして名詞化は形態論的に行われる。ところが,名詞化された語は,形態統語論的にも意味的にも,名詞的・動詞的な性質を併せ持っている。名詞化が形態論的に行われる場合,一般にそれは派生的手法として扱われるが,クスコ・ケチュア語の場合,同じ形式が,他の言語でいうところの名詞派生的用法と,動詞パラダイムの1つ(すなわち屈折)である分詞的用法とを持っている。この点で,伝統的な派生・屈折の区別ではうまく捉えられない例だと言えるかもしれない。                     (蝦名大助)

2.シネヘン・ブリヤート語の名詞(類)化

 今ワークショップにおいて,発表者はシネヘン・ブリヤート語を対象におもに派生的名詞化,統語的名詞化の2つの「名詞化」の方策について概括した。
 対象言語を含むモンゴル諸語では名詞と動詞の形態的差異が明確である。派生に際しても名詞語幹に接続する接尾辞と動詞語幹に接続する接尾辞とは明確に区別される。ただし反面,接尾辞の種類は非常に多いことが特徴としてあげられる。
 また統語的名詞化には動詞の分詞(形動詞)化がある。派生的名詞化との差異は,語彙的な選択制限が緩いこと,名詞項をとること,あらたな派生接尾辞が接続されないことにあると推測した。
 一方で従来,動作主を示す分詞として「統語的名詞化」に分類されてきた形式をどちらに扱うべきかといった点に問題が残る。このことをふまえ,次回の会合では類型的観点から再度見直しをおこない,シネヘン・ブリヤート語の名詞化の特徴付けを明確にしていくことをめざす。         (山越康裕)

3.エヴェンキ語における名詞化

 「名詞化ワークショップ」への参加を決めたのが遅かったため,個人的な準備が大して出来なかったことは残念であったが,参加した意義は大きかったと思う。まず,「名詞化」を厳密に定義しなかったことから参加者の研究対象言語によってさまざまな“名詞化と思われる”現象が報告されたが,これから「名詞化」を定義する上で大変参考になるのではないかと思われる。また,関係節や名詞節の同格構造の扱いなど,共通した問題意識が持てたことも大きな収穫だった。
 興味深かったのは,類型論的に見て,形態・統語論的に近似した言語間ではやはり似たような現象が見られる一方で,異なる言語間ではこれまで当たり前と考えていたことを改めて通言語的な問題として意識させられたことである。                               (松本亮)

4.アリュートル語の名詞化

 アリュートル語の名詞化について報告をした。アリュートル語には語幹について名詞を派生する接辞が多くある。これらの接辞について派生した名詞のあらわす意味にしたがい「動作や性質をあらわす名詞」,「動作主をあらわす名詞」,「道具をあらわす名詞」などのように分けてそれぞれの例を示した。しかし本報告中の「名詞化接辞」には名詞語幹につくものも多く,それらを「名詞化」と呼んでもいいものかどうか疑問が残る。また,名詞化された名詞の中には単純名詞と統語上まったく同じふるまいをするものとそうでないものがあり,今後は名詞化名詞それぞれの機能や用法について,もう一歩踏み込んだ調査をすすめる必要がある。                                   (永山ゆかり)

5.上ソルブ語における名詞化の概要

 上ソルブ語において,動詞から名詞を派生するプロセスにはいくつかの方法がある。本発表は,もっとも典型的な派生方法である「動詞語幹+-nje」(…すること)という構造について注目した。この出動名詞は文法的には中性として扱われ,それが現れる文中の働きに応じ,数と格について屈折変化をする。
 この派生名詞を主要部とする名詞句では,動詞の持つ項を表すことができる。もとの主語(多くは行為者)またはもとの対格目的語(多くは対象)のいずれかひとつを表す場合は,名詞句において属格で表すことが多く,もとの与格目的語は名詞句において与格のままで表されることが多い。しかし問題の出動名詞句において,動詞の持つ複数の項を同時に表す場合については結論を導くには至らず,今後も精査を要する。                                       (笹原健)

6.パラウク・ワ語における名詞化現象

 「名詞化」については,これまであまり深く考えないまま,「都合のよい概念」として文法事象の説明に用いてきた。しかし,いざ自分の対象とする言語に立ち戻ってみると,何をもって「名詞化」と呼ぶのかという根本的な問題が横たわっていることに気付かされた。これは今回の参加者すべてが多かれ少なかれ感じたことかもしれない。このような不安を抱えたままのぞんだワークショップであったが,系統も類型も異なる言語の事例を参照し,それに自ら対象とする言語の事例を引き比べることで,結論とまではいかなくとも,共通の問題認識はもてたように思う。今回あった議論を踏まえ,改めて自らの対象言語を精査した後,次回の研究会にのぞみたいと考えている。                  (山田敦士)

7.シベリア・ユピック語の名詞化

 名詞化にかんする研究会に参加し,様々な言語の研究者と討論することによって名詞とは,そして名詞化とはなんなのかについて考えを深めることができた。私の研究するシベリア・ユピック語では,語幹レベルで動詞語幹を名詞語幹へと転換する名詞化と,動詞語幹が品詞を転換させる接辞なしに名詞の屈折接尾辞をとる名詞化がみられる。どちらの現象もひとまとめに名詞化としてよいのかという問題点が明らかになった。また,形式だけからみると品詞として動詞とすべきか名詞とすべきかわからないようなものも,その機能,使われるコンテキストが違う場合には分けて考える必要があるということを改めて確認することができた。同一形式であるが異なる品詞に分類しうるようなものの差異をより明確なものとするため,コーパス作りの必要性を強く感じた。                        (永井佳子)

8.スライアモン語の品詞と名詞化について

 名詞化というテーマで,自分が調査研究しているスライアモン語における現象と問題点を発表し,参加者と質疑応答をおこなった。ただし,スライアモン語は,同言語が属するセイリッシュ語族の他の言語,あるいは近隣のワカシュ語族の言語同様に,「名詞化」を論ずる以前に,文法上の品詞の区別の問題がある。すなわち,同言語では,品詞の区別,なかでも名詞と動詞の区別があるのかないのかが大きな問題となっている。そこで,今回は,名詞化というテーマに入る前に,何故,そもそも品詞の区別が問題となっているのか,問題となる現象を報告した。それを踏まえて,スライアモン語で「名詞化」だと考えられる現象についての発表をおこなった。結果的にこのテーマ自体はスライアモン語では,扱いにくいものであったが,他の言語の品詞,ならびに名詞化にかんする発表を聞く機会をもつことができ,逆にスライアモン語における品詞の問題で,どのような点をさらに調査研究すべきか考えるよい機会となった。  (渡辺己)

9.ヌートカ語における名詞化

 ヌートカ語にも悲鳴私的な語幹を名詞的な語幹に変える文法プロセスはあるが,スライアモン語に関する発表でもふれられた品詞分類の問題がヌートカ語でも存在するため,他のタイプの言語における名詞化との比較には注意を要する面がある。ヌートカ語における名詞化には,名詞語幹を語彙的に派生させるもの[語彙的名詞化]と述語表現に定性を表す接辞を付加して行うもの[文法的名詞化]がある。語彙的名詞化で派生される語幹は単純な名詞語幹と形態統語的性質の上で全く差がないが,文法的名詞化によって作られる名詞語幹は形態法上閉じた語となりさらなる派生をさせることはできない。      (中山俊秀)

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 2006年度第1回
 日時 : 2006年6月3日(土) 13:00-17:30
 場所 : AA研マルチメディア会議室(304室)
 プログラム :
  中山俊秀(AA研)
   「ヌートカ語の語形成の特徴とそれが意味するところ」
   「趣旨説明にかえて」

【報告の要旨】

1. ヌートカ語の語形成の特徴とその先

本発表では,語形成が複雑な「複統合」タイプの言語であるヌートカ語(ワカシュ語族;カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州)における語構造,語形成法上の特徴を紹介しつつ,「語」というドメインの通言語的多様性の一面を明らかにしようとした。
 「語」が人間言語に普遍の重要な構造単位・ドメインであることは異論の余地のないところである。しかしながら,最近よく見られる統語法中心の言語研究の中では,「語」といえば,それが対外的に持つ統語機能にのみ関心が払われ,「語」それ自体にに直接焦点が当てられることは少ない。このことは,これまで広く研究されてきた西欧大言語において文法体系の中での統語法の機能的役割が比較的大きいことと決して無関係ではないと思われる。特に形式理論研究などでは,さらに踏み込んで,こうした統語法偏重の言語構造の見方が人間言語一般に有効であると考える傾向が強いようである。しかし,通言語的には,「語」は内的構造の上でも,統語法上の性質の上でも幅広い多様性を見せる。それゆえ,文法体系の中において「語」というドメインが担う機能的役割も言語によって大きく異なる。
 ヌートカ語は,一つの語の中に比較的多くの形態素を埋め込むことを許す,いわゆる「複統合」的な言語である。ヌートカ語の語形成では,複数の語根を組み合わせる複合はなく,もっぱら接尾辞の付加によって語がくみ上げられていく。そうした中で統合度の高い語の形成を可能にしているのは,語彙的な意味を持った接尾辞(語彙的接尾辞)の存在である。語彙的接尾辞は400〜500を数え,場所、出来事(動詞的)、状態(形容詞的)をはじめ,人・もの(名詞的)まで幅広い範囲の意味をあらわすものが含まれる。この語彙的接尾辞を活用することで,英語や日本語では文として表現せざるを得ないほどの意味内容を一語に盛り込むことも可能である。いってみれば,ヌートカ語の語形成は英語や日本語での文形成(統語法)の表現領域・機能領域をも含む範囲をカバーしている。このような言語の例から,「語」という構造単位は,単純にそれが表しうる意味・機能という観点から(たとえば,「語」は単純概念を表し,「文」は叙述・命題を表すというように)性格づけられないことが見て取れる。
 ヌートカ語における「語」は,英語や日本語などの言語に比べて遙かに柔軟な構造単位ではあるが,決して無制約ではあり得ない。ヌートカ語では,論理的には同じ意味内容を、形態法によって語の内部に表現すること(複統合的表現)も、統語法によって語の組み合わせによって表現すること(分析的表現)もできるケースあるが,この表現方法の使い分けは語用論的な判断と絡んでいる。たとえば,概念的動詞と概念的目的語の組み合わせは,1語の中に[名詞語幹(目的語)+動詞的接尾辞(動詞)]と統合的に表すこともできるが,2語に分けて[動詞語][名詞語(目的語)]と分析的に表すこともできる。この二つの表現方法の選択の鍵は,概念的目的語にあたる要素が特定の人・ものを指し、談話上のトピックとして言及されうるものかどうか(referentiality)にある。すなわち,概念的目的語が不特定で指示的でない場合は統合的表現,概念的目的語が特定されていて指示的である場合には分析的表現が取られる。つまり,談話上重要な概念的目的語は概念的動詞と同じ語にはパッケージできないのである。このことから,「語」というドメインがある側面で情報のパッケージングという語用論的メカニズムと絡んでいることがわかる。
 ヌートカ語における統合的表現と分析的表現の使い分けから推察される「語」と情報パッケージングとの関連性は,複統合的な語形成を許す言語であるが故に観察できたことである。こうした「語」として表現することについての制約を,多様な構造的タイプの言語で様々な観点から検討してみることを通して,「語」というドメインが言語表現のパッケージ化の拠り所としてどのような役割を果たしているのかを明らかにしていくことができるのではないだろうか。

2. プロジェクトの今年度の活動についての意見交換と打ち合わせ

『語』の内部構造と統語機能に関する共同研究班では,今年度は特に,語形成の周辺要素であるcliticが「語」の同定に提起する問題を検討しつつ「語」という構造ドメインの性質を明らかにしていくことを目指す。
 Cliticは,一方で音韻的に独立した「語」として自立はできず,他の語に音韻的に取り込まれた形で現れる。しかしこのcliticは,他方で,接辞のような完全な付属要素とも異なる。音声的には語の内側にありながら,機能的には語形成の外側にある要素である。このように形式面と機能面でのミスマッチを内包した要素であるが故に,言語構造のドメインとしての「語」の境界を明確に定義づけるうえで妨げになる厄介者である。しかしながら,このように「語」の内側と外側にまたがるような性質を持つ要素があることは,逆に,「語」という構造的ドメインが一面的な単位(純粋に音韻上の単位,もしくは純粋に形態法上の単位など)ではなく,複数(音韻,形態法,統語法など)の機能的な要請がぶつかり合う,葛藤と駆け引き(negotiation)の場であるということをうかがわせる。
 そこで,地域・系統および構造的類型の多様な言語におけるcliticが見せる振る舞い,そしてそれが提起する問題を概観し,「語」というドメインに作用する音韻法,形態法,統語法上の力とその相互作用の有り様を明らかにしていく。                      

(中山秀俊)



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プロジェクト・メンバー
[主 査] 中山俊秀
[所 員] 澤田英夫、呉人徳司、塩原朝子、荒川慎太郎、星泉
[共同研究員] 風間伸次郎、角谷征昭、児島康宏、長崎郁、渡辺己