Part 3-4 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

祈祷集会におけるカートとコーヒー


 スーフィズムにおいて、ハドラとは修行のための集会を意味する語である。エチオピア西部においては現地語(オロモ語)化しており、ムスリムが定期的に開催する宗教集会を意味する語として広く人々に使用されている。この集会では、参加者同士の相互的な祈祷が行われることから、ここでは祈祷集会と訳す。

 オロミア州のムスリムのなかには、自宅敷地内に祈祷集会のための小屋(ハドラ小屋)を設けるものも少なくない。特定の曜日に、近隣住民を大勢集めることもあれば、家族数名のひっそりとした祈祷集会を開くこともある。

 ムスリム・オロモと一言で括っても、エチオピア西部のベニシャングル・グムズ州周辺に住むムスリム・オロモと、東部ハラリ州周辺に住むムスリム・オロモの宗教生活にはさまざまな違いがみられる。祈祷集会においても、精霊憑依を伴うものやキリスト教徒が参加者の大半を占めるものなど、そこには地域的特徴が表出する。また、主宰者の判断によっては性別、年齢、服装などによって参加が制限されたり、その日、葬儀へ参列したものや性交渉を行ったものの参加が拒まれたりすることもある。

 祈祷集会は夜間に開催される。参席者は日没後にばらばらとハドラ小屋に集まる。その際、カート(弱い覚醒作用のある植物:学名Catha Edulis)やコーヒー豆、砂糖、乳香、線香など集会で使用される物品が持ち寄られ、開始時に主宰者へ手渡される。集められたカートが一つの束にまとめられ年長者の前に置かれる。年長者はカートを前に祈祷をあげたのちに、参席者に均等に行き渡るようにそれを分配する(写真3-8)。この祈祷を受けたカートは、参加者にとっては単なる嗜好品と異なる意味を持つ。それを噛むことで、神から与えられる恩寵[baraka]を体内に摂取し、身体が内部から浄化され、神と対峙する姿勢が整えられると言う。

 また、祈祷集会においては、自身が直面している身体的・経済的苦悩や、人間関係のトラブルなどが参席者から吐露されることも少なくない。苦悩の物語が語られ終わると、周囲の参加者から「神の恩寵が与えられますように。その困難が遠ざかりますように」などと、一斉に祈祷の言葉が向けられる。その言葉とともに周囲の参加者からカートが手渡されることもある。このように祈祷集会において、カートの存在は、神からもたらされた恩寵が宿ると理解される象徴媒体となっており、また祈祷を通じて他者とつながるために不可欠なツールともなっている。

 カートと同様に祈祷集会に欠かせないのがコーヒーの存在である。祈祷集会においては、ハドラ小屋で延々と乳香や香木、線香が焚かれる。深夜になるとそれにコーヒーの芳ばしい香りが加わる。祈祷集会においては、主宰者の家族がコーヒー・セレモニーを行い参席者に振る舞うことが多い(写真3-9, 3-10, 4-3, 映像4-1)。コーヒー・セレモニーとはコーヒー豆を煎ることから始まり、参席者全員に対してコーヒーを3回振る舞うまでを含む一連の慣習的行為をさす。祈祷集会の場で重要とされるのは味よりもむしろ香りである。コーヒー豆を煎った時に出る芳ばしい香りで精霊が集まると解される。香りを楽しむように置かれた煎りたてのコーヒー豆の上にカートの枝を置くのは、精霊のなかでも悪霊がよってこないようにするためのものとされる。このようにコーヒーとカートの間には補完的関係がみられ、祈祷集会においては常にセットで用いられる。

 カートとコーヒーの覚醒作用も手伝って、祈祷集会は真夜中に一層盛り上がる。ときに太鼓(展示資料3-2)が叩かれ、宗教歌が皆で唱和されることもある(写真3-11, 3-12, 映像4-2)。朝日が昇ってもなお祈祷集会が続くことは珍しいことではない。