Part 3-3 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

ジンマとヤア聖者廟


 ジンマは住民の大半がムスリム・オロモであり、エチオピアの他のムスリム地域同様、聖者崇拝が根を下ろした地域である。ジンマ周辺にはあちこちに聖者廟が存在し(写真3-7)、祭日などには周辺のムスリム住民が集まって祈祷をあげたり、供儀された牛を共食したりする姿が見られる。

 ジンマ地方には、これまでカーディリー教団、サンマーニー教団などいくつかのスーフィー教団が導入されたが、現在、もっとも大きな影響力をもつのがティジャーニー教団である。この地域におけるティジャーニー教団の普及に貢献したことで知られるのが、ハッジ・ユースフとアルファキー・アフマド・ウマルである。19世紀後半にグマで生まれたハッジ・ユースフは、幼少期からコーランについて学び、のちにカーディリー教団とサンマーニー教団の免状(イジャーザ)を授かった。さらに、二度目のメッカ巡礼の際にはティジャーニー教団の免状を授かり、エチオピア西部に戻ったのちに大勢の地域住民をティジャーニー教団へと導いた。ジンマ周辺でとくにティジャーニー教団が普及したのは、このハッジ・ユースフの功績が大きかった。

 西アフリカのボルノ地方(現ナイジェリア北部)出身のアルファキー・アフマド・ウマルは、メッカ巡礼を経てエチオピアに入り、ミンコに移住した。噂を耳にしたハッジ・ユースフが、アルファキーを訪れて、瞑想修行を行ったことも影響し、ジンマのムスリムは大挙してミンコのアルファキーを訪問するようになった。なかには、そのまま近辺に逗留・定住した信者もいたと言う。のちに、アルファキーがヤアへ移住した際にも、ジンマから大勢の信者がヤアへと移住した。ティジャーニー教団のネットワークはこうした聖者、信者の移動に伴いエチオピア西部一帯へ広がった(図3-1)。

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エチオピア西部のティジャーニー教団関連地と普及経路