Part 1-2 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

エチオピアの民族、言語、宗教


 エチオピアは多民族・多言語・多宗教国家であり、言語学、文化人類学研究の重要なフィールドである。本研究所においても、石垣幸雄氏、中野暁雄氏、福井勝義氏、鈴木秀夫氏といった所員によりエチオピアの諸民族・諸言語の研究が行われてきた。

 本展で取り上げるオロモと呼ばれる人々は、アフロ・アジア語族クシ語派に属するオロモ語を母語とする。2007年の国勢調査によれば、オロモの人口はエチオピアの総人口の約35%にあたる約3000万人であり、エチオピアの諸民族の中で最多である。

 歴史的に、そして現在もなおエチオピアで重要な役割を果たしているのがアフロ・アジア語族セム語派のアムハラ語である。この言語は13世紀にエチオピア高原に成立したソロモン朝エチオピア王国において主要な口語として用いられていた。その後アムハラ語を母語とするアムハラは、19世紀末に成立したエチオピア帝国内で政治的・社会的な優位を築き、他の諸民族を支配した。

 2007年の国勢調査によれば、エチオピアの宗教別人口は、エチオピア独自のキリスト教であるエチオピア正教の信者が約3200万人(総人口の約44%)、ムスリムが約2500万人(同約34%)、プロテスタントの信者が約1400万人(同約19%)、「伝統宗教」の信者が約200万人(同約3%)であった。オロモの3分の1程度はエチオピア正教の信者であるが、2分の1位程度はムスリムである。

 エチオピアの宗教を論じる際に、これまで取り上げられることが多かったのは、エチオピア正教であった。19世紀末にエチオピア正教の信者であったアムハラのメネリク2世(在位1889~1913年)がエチオピア帝国を創始し、彼の帝国はハイレ・セラシエ1世(在位1930~1974年)に継承された。帝政下ではエチオピア正教が国教として保護され、キリスト教文化圏に属する欧米の人々も「キリスト教国」としてエチオピアに注目した。この傾向は学術研究にも影響を与え、エチオピアのイスラームはその重要性に比して過小評価されてきた。そのような傾向が是正され、エチオピアのイスラームに関する学術的研究が進められるようになったのは近年のことである。