Part 2-4 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

ジンマ王国におけるイスラームの導入


 アッバ・ジファル1世をイスラーム改宗に導いたのは、ソロモン朝エチオピア王国の都であったゴンダールから来訪したアブドゥル・ハキームというムスリム商人であったとされる。アッバ・ジファル1世は、王都ジレンの王宮近くに、アブドゥル・ハキームのための屋敷を用意して彼を厚遇した。またイスラームを宮廷の宗教と宣言し、ムスリム商人を呼び寄せて王国内でイスラームを広めさせたとされる。

 16世紀前半に大移動を開始する前、オロモは空の神ワカを唯一神として信仰していた。オロモがイスラームに改宗するに至った要因としては、「唯一神信仰を根本とするオロモの宗教体系とイスラームの類似」「ムスリム商人がもたらす交易の利益」「イスラームの導入による支配の正統性の強化」などが指摘されている。

 ジンマ王国の民衆の間にイスラームが広がるまでには時間を要した。しかし19世紀後半にテウォドロス2世、ヨハンネス4世といったキリスト教徒の君主たちが、エチオピアのイスラーム学の中心地であった北部のウォッロ地方などにおいてムスリムへの圧迫を強めると、多くのムスリム知識人が庇護を求めてジンマ王国をはじめとするギベ5王国に来住するようになった。

 1878年に即位したアッバ・ジファル2世(在位1878~1932年)もウォッロなどから多数のムスリム知識人を招いて厚遇した。彼はまたイスラーム関連の書籍を多量に購入し、王国内で配布したとも伝えられている。このようなイスラームの保護・奨励策によって、アッバ・ジファル2世の治世にジレンのマドラサ(イスラーム学校)の数は60に達し、ジンマはエチオピアにおけるイスラーム教育の中心地の1つになった。

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19世紀のエチオピア


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アッバ・ジファル2世(肖像画)