Part 3-1 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

聖者と聖者崇敬

 イスラームにおいて聖者とは、理想的人格を具現し、超越的真実性に起因する特別な力によって人々に恩恵を与えられると信じられる人物を指す。ただし、聖者の語はあくまでも分析概念であり、これに相当する原語が存在しているわけではない。聖者に相当する呼称は、ワリー(神の近くにある者)やサーリフ(信仰正しき者)といった一般的なものの他にも、サイイド(預言者ムハンマドの子孫)、ファキーもしくはフギー(法学者ファキーフと清貧なる者ファキールの両方を意味)などが、現地に密着した意味合いで使用されている。

 サハラ以南アフリカでは、ムスリム民衆の多くがアラビア語の知識がなく、自らコーランやハディース(預言者ムハンマドの言行録)を紐解きイスラーム解釈を得ることが困難であったことから、人々は身近な解説者である聖者の肉声や日常的行動を通じて教義を学びとり、生活の中にそれを反映させていった。エチオピアにおいても、イスラーム学を修めたムスリム知識人は、人々にイスラームの教えを説きながら、病気治しや自然災害の回避など奇跡と解される現象を引き起こすことで「聖者」として崇敬の対象とされるようになった。エチオピアで「聖者」として崇敬される人々の多くがスーフィーであるが、エチオピア南東部(写真3-1)に墓廟があるムスリム女性聖者スィッティ・モーミナのようにスーフィーでない聖者も存在する。

 近年、エチオピア国内でもイスラーム復興主義がその影響力を増しており、聖者崇拝を支持する「伝統的イスラーム」を暴力的に否定しながら、広がりをみせている。エチオピア西部は、ティジャーニー教団の導師ハッジ・ユースフやアルファキー・アフマド・ウマル(写真3-2)に代表されるムスリム聖者の活躍もあり、聖者崇敬が根を下ろす土地として知られているものの、この世界的規模の潮流を前に、同地域でも多くの若年層がイスラーム復興主義勢力に流入する事態が生じている。この動きに対抗するため、ジンマ周辺では複数のスーフィー教団が教団間の差異を超えて連携し、イスラーム教育を通じて若年層にスーフィズムの在り方について伝える新たな試みが始まっている。