Part 2-1 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

オロモとその大移動


 現在エチオピアの中央部に広く居住するオロモの原住地については過去論争があったが、現在ではエチオピアの南部であったことが確実視されている。オロモは16世紀前半に大規模な移動を開始した。このオロモの大移動に関しては、エチオピア教会の聖職者であったバフレイという人物が16世紀末に著した『ガッラの歴史』という史書によって、その詳細を知ることができる。「ガッラ」とはエチオピアのキリスト教徒によるオロモに対する呼称である。現在では蔑称として使用が避けられている。

 バフレイはオロモが8年ごとに新たな地域への攻撃を行ったことを記録している。東アフリカに居住する農耕民、牧畜民には、年齢によって区分された集団が順次社会的役割を変化させていく、年齢階梯制と呼ばれる社会制度を持つ集団が多い。オロモもガダ体系という年齢階梯制を持ち、8年ごとに新たな年齢集団が形成された。バフレイが伝える8年ごとのオロモの移動はガダ体系と結びついていたものと考えられている。

 バフレイの記述からは、オロモが多数の集団に分かれており、それらが時に衝突し、時に合従しつつ各地に進出したことが分かる。17世紀までにオロモはエチオピア中央部の広大な領域に進出し、各地に定住するようになった。オロモが短期間のうちに広大な領域に進出できた理由については議論が続いているが、他の民族集団を集団単位でいずれかの氏族の「養子」として社会に取り込む、モッガーサと呼ばれるオロモの社会制度が重要な役割を果たしたと考えられている。オロモの大移動は他の大小の民族移動を引き起こし、その結果、現在見られるようなエチオピアの民族集団分布が形成されたのである。

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現在のオロミア州