Part 2-6 :: Islam, Religion of Unity by Prayer

ジンマ王国伝来イスラーム祈祷集


 204葉からなるこのアラビア語写本は、フランス人の旅行家ジュール・ボレリが1887年末から1888年初頭にかけてジンマ王国を訪れた際、その王宮から持ち帰ったものである。複数の祈祷書や祈祷句の写本が合冊としてまとめられており、幾つかの写本の奥書には、サイード・ブン・ムハンマド・アマーン・ブン・シャイフ・アブラーム・シャイフという書写者の名前が記されている。このサイードという人物の詳細は明らかではないが、写本の書写者であると同時に所有者であるとの記述も見られるため、祈祷書を自らのために書き写した知識人であると考えられる。いずれの写本も書写年は19世紀半ばと考えられ、明記された最も古い書写完了年月日はヒジュラ暦(イスラーム暦)の1264年7月4日(火)、つまり西暦1848年6月6日(火)となっている。

 綴じられた複数の著作の中にはイスラーム圏において広く知られた『善の徴』(Dalā’il al-khayrāt)や『最も偉大な祈祷句』(al-Ḥizb al-a‘ẓam)といった祈祷書も見られる。『善の徴』は、モロッコのスース地方出身のスーフィーであるムハンマド・アル=ジャズーリー(? ~1465年頃)という人物が著した祈祷書である。著者の出身地である北アフリカのみならず、西アジアから東南アジアに至る広域、更にはサハラ以南アフリカにも広まり、それぞれの地域のムスリムが書き写し、利用してきた祈祷書である。『最も偉大な祈祷句』は、アフガニスタンのヘラート出身の学者であるアリー・アル=カーリー(? ~ 1606年)という人物がまとめた祈祷書である。『善の徴』と同様、この著作もイスラーム圏でよく知られた祈祷書の一冊と言える。

 上で触れた通り、この合冊写本に含まれる幾つかの写本に関しては、サイードという人物が書き写したものであると分かる。そして、書字の同一性なども勘案すると、彼の名が明記されていない他の写本に関しても、その大半(もしくは全て)が彼の筆写によるものであると推測される。残念ながらこのサイードという人物の素性が明らかでないため、この合冊写本がエチオピアにおいて筆写されたものであるのか、他地域で筆写された後にエチオピアに持ち込まれたものであるのかは断定しがたい。しかし、裏表紙裏には「ジンマの王の邸でジュールによって見つけられた」(Trouvé par Jules chez le Roi de Djimma)とフランス語で記されているため、ジュール・ボレリが当時のジンマ王国の統治者であったアッバ・ジファル2世の王宮で発見し持ち帰ったものであると考えられる。仮にそうであるとすれば、この合冊写本は、ジンマ王国の歴代の王や、その周辺にいた王国の有力者たちの日常的な祈祷に際して利用されていた可能性が高く、ジンマ王国のイスラーム史を考える上で極めて貴重な史料であると言える。

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写真①


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写真②


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写真③


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写真④