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西暦 主要な出来事 王朝・時代名
600年
  • 610 ムハンマド、アッラーの啓示を受け、預言者を自覚する。
  • 642 アムル率いるアラブ・ムスリム軍、軍事拠点フスタートを建設。
ビザンツ
正統カリフ
700年
  • 750 アッバース朝、統治の拠点アスカルを建設。
ウマイヤ朝
800年
  • 870 トゥールーン朝、統治の拠点カターイゥを建設。
  • 879 ※イブン・トゥールーン・モスク建立。(→no.29)
アッパース朝トゥルーン朝
イフシード朝
900年
  • 969 ファーティマ朝の将軍ジャウハルが新都カーヒラ(カイロ)を建設。
  • 970 ※アズハル・モスク建立。(→no.27)
ファーティマ朝
1000年
  • 1021 ファーティマ朝カリフ・ハーキム、カイロ郊外のムカッタム山上で蒸発。
  • 1065 エジプトで「七年の飢饉」始まる。
  • 1087 ※ナスル門建立。(→no.1)
  • 1092 ※ズワイラ門建立。(→no.17)

1100年
  • 1138 エジプトで地震。
  • 1168 ラテン王国アマルリク軍のカイロ攻撃。防衛上の配慮からフスタートに火が放たれる。
  • 1169 サラディン(サラーフ・アッディーン)がファーティマ朝の宰相となる。
  • 1175 ※サラディン、この頃カイロ城塞の建設に着手。(→no.4)
  • 1187 ヒッティーンの戦いでサラディン勝利。イェルサレムを十字軍から奪回。
  • 1199 エジプトで飢饉発生。
アイユーブ朝
1200年
  • 1260 スルタン・バイバルス、アイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を破る。
  • 1261 バイバルス、アッバース家の傀儡カリフを推載。
  • 1285 ※カラーウーンの廟、マドラサ、病院完成。(→no.20)
  • 1291 マムルーク朝、アッカーを占領。シリアの十字軍国家消滅。
  • 1295~96 エジプトで飢饉と疫病。一ヶ月に12万5千人死亡。以後、自然災害頻発し、気候寒冷化。

マムルーク朝
1300年
  • 1310 ※毒味役バイバルスの修道場完成。(→no.16)
  • 1310~41 スルタン・ナースィルの第三期治世。ファーティマ朝期市壁外への市街地拡大が活発化。
  • 1322 ※アミール・ムザッファルの廟完成。(→no.18)
  • 1326 大旅行家イブン・バットゥータ、初めてカイロを訪れる。
  • 1347~49 ペストの世界的流行。カイロでも被害甚大。以後ペストは繰り返し流行。
  • 1363 ※ハサン・モスク完成。(→no.26)
  • 1374~75 飢饉とペスト流行。死者多数。
  • 1382 ※ジャルカス・アルハリーリー、卸売商業施設ハーン・アルハリーリーを建設。(→no.23)
  • 1386 ※スルタン・バルクークの複合宗教施設完成。(→no.15)
  • 1389 アレッポ総督ヤルブガー率いる反乱軍がカイロに攻め込み、激しい市街戦。
1400年
  • 1403~04 飢饉とペスト流行。死者多数。
  • 1406 『歴史序説』の著者イブン・ハルドゥーン、カイロで歿。
  • 1415~16 物価暴騰。小麦を求める市民2万人がこの頃主要な港となったブーラークに詰めかける。
  • 1442 歴史家マクリーズィー、カイロで歿。
  • 1470 都市上層の居住地としてエズベキーヤ地区の建設が始まる。
1500年
  • 1505 ※グーリーヤ完成。スルタン・グーリーは水道橋も完成。(→no.22)
  • 1524 アフマド・パシャ、オスマン朝中央政府に対して反乱。
  • 1536 ホスロウ・パシャ、市内各地の道に小門を整備。この頃、コーヒーが普及。
  • 1571 ※ブーラークにスィナーン・パシャのモスク完成。(→no.9)
  • 1586 オスマン朝パシャに対する最初の在地エジプト軍反乱。
オスマン朝
1600年
  • 1600 この頃、カイロでタバコが普及しはじめる。
  • 1609 ムハンマド・パシャ、在地軍反乱を鎮圧。しかし、その後ベイたちの勢力が増大。
  • 1620 ムスタファー・パシャ、カイロの大工ギルドに対する不正により解任。
  • 1622 エジプトで飢饉発生。
  • 1626~28 ペスト流行(「バイラム・パシャの疫病」)。エジプトでの死者30万人。
  • 1640~42 物価高騰。盗賊が跳梁し、トゥールーン地区のマグリブ人スークで激しい略奪。
  • 1643 ペスト流行。市内のスークで葬列が「ラクダのキャラバンのように」続く。
  • 1656 四半世紀にわたるエジプト統治の実力者巡礼長官リドワーン・ベイ歿。
  • 1660 ※ハサン・モスクのミナレット突如崩壊。(→no.26)
  • 1664 流星に続いて三度の大地震。市内の家屋倒壊。
  • 1694 暴風襲来。市民が「最後の審判」と騒ぐ。イェニチェリの実力者キュチュク・ムハンマド暗殺を機に飢饉発生。
  • 1696 イスマーイール・パシャ主催の大割礼式に市内の子供1336人参加。
1700年
  • 1711 ベイたちの二大党派にイェニチェリ軍、アザブ軍入り乱れ、カイロで激しい内戦。
  • 1724 カイロで民衆蜂起。モスクのミナレットに上った市民が有力なベイへの天罰を祈願。
  • 1744 ※アブドゥル・ラフマーン・カトホダー、コーラン教育と給水のための施設を建立。
  • 1760 アリー・ベイ、エジプト政治の実権を掌握。(→no.14)
  • 1770~71 アリー・ベイ、アラビア半島やシリアに遠征。オスマン朝からの自立化をめざす。
  • 1772 ※ユースフ・ベイの給水泉完成。(→no.18)
  • 1784~85 飢饉に続いてペスト流行。エジプト人口の約六分の一が死亡。
  • 1786 ハサン・パシャのエジプト遠征。オスマン朝中央政権の支配が一時的に最強化。
  • 1791~92 ペスト流行に続いて激しい飢饉発生。
  • 1798 ナポレオンのエジプト遠征。フランスのエジプト統治始まる。
フランス占領期
1800年
  • 1801 フランス軍、エジプトから撤退。
  • 1805 ムハンマド・アリー、エジプトのパシャに就任。ムハンマド・アリー朝成立。
  • 1811 ムハンマド・アリー、カイロ城塞で大量殺戮によりマムルーク勢力を一掃。
  • 1820 ※トゥースーン・パシャの給水泉完成。(→no.12)
  • 1822 ブーラークに印刷所創立。1827 カイロに初めて近代的医学校できる。
  • 1828 ※イスマーイールの給水泉完成。(→no.15)
  • 1830 ※カルア・アルカブシュに蒸気機関を動力とする織機200台が設置される。(→no.3)
  • 1831 コレラ流行。カイロの死者数3万人。1840 ムハンマド・アリーのシリア方面への領土拡大の野望、ヨーロッパ列強の圧力で挫折。
  • 1849 ムハンムド・アリー歿。シェパード・ホテル建設認可。
 
ムハンマド・アリー朝
1850年
  • 1851 エジプト、オスマン政府より鉄道利権取得し、r.スティーヴンソンと鉄道建設を契約。
  • 1855 カイロ−アレクサンドリア間の鉄道開通。
  • 1856 フランスのレセップス、スエズ運河利権取得。
  • 1857 エジプト総督サイード、ナイル川蒸気船運航と電報制度の利権許可。エジプト博物館創設。官用語としてアラビア語。
  • 1858 カイロ−アレクサンドリア−スエズ間の鉄道開通。
  • 1859 スエズ運河建設開始。1860旅行業者トーマス・クック、カイロ訪問。
  • 1861 アメリカの南北戦争により、エジプト綿花への需要拡大。
  • 1865 カイロ水道会社、カイロ・ガス会社設立。
  • 1866 踊り子に課税(売春の実質的合法化)。
  • 1867 エジプト郵便事業開始。エジプト副王イスマーイールが欧州歴訪。この後、カイロ新市街が次第に建設される。
  • 1869 スエズ運河開通。オペラ・ハウス開館。国立図書館開設。イスマーイール第2回欧州歴訪。
1870年
  • 1870 エズベキーヤ庭園開園。
  • 1871 カスル・アンニール橋(タハリール橋、カイロ−ゲズィーラ南部間)開通。オペラ「アイーダ」初演。
  • 1875 英国にスエズ運河株式(イスマーイール名義)を売却。エジプト地理学協会設立。アフラーム新聞創刊。
  • 1878 エジプトの債務返済に関する国際委員会開催。
  • 1879 初の民族主義政党「祖国党」結成。
1880年
  • 1881 アフマド・オラービーによる民族運動(オラービー革命)。
  • 1882 英国、エジプト占領。ゲズィーラ・スポーツクラブ開設。
  • 1880s ホテル建設多数(サヴォイ・ホテルなど)。ピラミッド付近の超高級ホテル、メナ・ハウス営業開始。
イギリス占領期
1890年
  • 1891 カイロ動物園開園。
  • 1893 ゲズィーラ・パレス・ホテル(元ゲズィーラ宮殿)開館。
  • 1896 市電開通(アタバ広場−ムハンマド・アリー広場)。
1900年
  • 1902 コレラ流行。ザマーレクの水族館開館。
  • 1906 現在の新市街の中心部ガーデン・シティ開発開始。郊外の高級住宅地ヘリオポリス開発開始。
  • 1908 エジプト大学(現国立カイロ大学の前身)設置。
1910年
  • 1912 ブーラーク橋(現7月26日橋、ブーラーク−ゲズィーラ北部間)およびザマーレク橋(ゲズィーラ北部−インバーバ間)開通。
  • 1914 第一次世界大戦。エジプト、英国の保護領となる。
  • 1918 第一次世界大戦終結。パリ和平会議へのエジプト代表団派遣運動。
  • 1919 年革命。カイロ・アメリカン大学開校。
1920年
  • 1922 エジプトの名目的独立。
  • 1920s 民間の中小ラジオ放送局乱立。1923 エジプト憲法制定。
  • 1925 週刊誌ローズ・アルユースフ創刊。1926 ワフド党、第三議会選挙に圧勝。
  • 1928 ハサン・アルバンナーにより、イスラーム復興運動組織のムスリム同胞団結成。
エジプト王国
1930年
  • 1934 反英運動激化。公共ラジオ放送開始。
  • 1938 ワフド党分裂。サアド党結成。
1940年
  • 1940 英国のエジプト内政干渉強化。
  • 1947 自由将校結成。コレラ流行(全国で死者約2万人)。
  • 1949 カイロ市庁開設。ムスリム同胞団リーダーのハサン・アルバンナー暗殺。
1950年
  • 1950 アイン・シャムス大学開校。
  • 1952 「黒い土曜日」事件(シェパード・ホテル炎上)。自由将校団による7月革命。
  • 1954 スエズ地帯から英国軍撤退。ナーセル政権成立。
  • 1956 イスラエル、英仏の三カ国軍がシナイ半島侵攻、スエズ動乱勃発(第二次中東戦争)。スエズ運河会社国有化。カイロのマスタープラン完成。
  • 1957 外国資産の国有化。
  • 1958 大学橋(カイロ−ギーザ間)開通。
  • 1959 ナイル・ヒルトン・ホテル営業開始。マディーナ・アンナルス建設開始。
共和制エジプト
アラブ連合共和国
1960年
  • 1960 銀行、報道機関国有化。公共テレビ放送開始。アスワン・ハイダム着工。
  • 1961 「アラブ社会主義宣言」(ナーセル大統領)。アズハル大学を近代的学制に組み入れる。
  • 1967 第三次中東戦争(六日戦争)。
1970年
  • 1970 ナーセル大統領急死。後継者は、サーダート大統領。
  • 1971 オペラ・ハウス失火消失。
  • 1973 第四次中東戦争。
  • 1974 経済開放政策(インフィターフ)開始。
  • 1977 食糧暴動。サーダート大統領、イスラエル訪問。
エジプト・アラブ共和国
1980年
  • 1981 サーダート大統領暗殺。
  • 1983 マリオット・ホテル会社営業開始。
  • 1986 治安部隊騒擾事件。カイロ空港、新ターミナル営業開始。
  • 1987 カイロの地下鉄開通。
  • 1988 ナギーブ・マフフーズ、ノーベル文学賞。新オペラ・ハウス開館。
1990年
  • 1990 イラク、クウェート侵攻。マフグーズ人民議会議長暗殺。アラブ連盟本部、カイロに再移転。カイロ−東京、友好都市提携。
  • 1991 湾岸戦争。
  • 1992 カイロ大地震(死者約4百人、負傷者4千人以上)。イスラーム集団などによるテロ頻発。すべてのモスクを宗教省の監督下に置く。
  • 1993 タハリール広場のコーヒー店で爆破事件(ニューヨークの世界貿易センタービル爆破と同日、2月26日)。シドキー首相暗殺未遂。
  • 1994 国際人口開発会議開催。ナギーブ・マフフーズ、テロで重傷。
(長谷部史彦・店田廣文)