スルタン・バルクーク・モスクとイスマーイール・パシャの給水泉


3-4 (no. 15) スルタン・バルクーク・モスクとイスマーイール・パシャの給水泉
mosque of the sultan barkook & fountain ismaeel pasha
リトグラフ、ラグ紙


 バイナル・カスラインはもともとカイロの都大路であり、権力者がパレードで威勢を誇示した場所である。こうした記憶はファーティマ朝の宮殿が灰じんに帰した後も生き続け、権力者たちは争って壮大な建物を造り続けた。チェルケス・マムルーク朝の創設者、スルタン・バルクークが建てたのは、上級学校とスーフィー(イスラーム神秘主義者)修道場の複合体である。これに比べると、400年後にムハンマド・アリーの妻が寄進したイスタンブル式給水泉はずっと小振りだが、美しさではひけをとらない。かつてラクダが休んでいた通りを、今は車が人を掻き分けて進む。ラクダから車へ。これが150年間最大の変化かもしれない。