15世紀に入ると紅海貿易はルートを移し、商品はスエズから陸路カイロへと向かうようになった。スエズからの隊商が到着するのは北の門。ナスル門を抜けた城内に広がるガマーリーヤ地区は当然、長距離交易の拠点となる。マムルーク朝期、オスマン朝期を通じて、この地域は活発な商業活動に支えられ、わが世の春を迎えたのであった。白馬に跨がる緑色ターバンの貴人は上エジプトからやって来たシャリーフ(預言者ムハンマドの子孫とされる人)であろうか。奥には、毒見役上がりのマムルーク朝のスルタン、バイバルス2世が建立したスーフィー道場が見える。ここはかつてエジプト一豪華な修道場と言われ、創建時には400人のスーフィーが共同生活を営んだという。

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