第6回コロキアム 「グローバリゼーションと人類学の可能性」

「全球化時代に「未開」・「部族」概念を再考する」
 高倉 浩樹(東北大学准教授)

グローバリゼーション化が進む現代における人類学の可能性を考えるために、「未開」・「部族」両概念が切り開く視座を批判的に再考した。これら二つはかつて人類学における基本的視座であったが、現在では倫理的意味も含めて忌避されることが多い。とりわけ政治経済文化の領域において密接な関連化や秩序化が進行する現在にあっては、概念としても過去の遺物となった感は否めない。筆者は、この言葉そのものを復活させようと考えるわけではないが、この両概念が提起可能な方法論的視座を改めてとらえ直し、それが現在の人類学において有効たりうることを主張した。

具体的には、(1)川田順造の「未開概念再考」における関係概念としての「未開」、(2)C.ギアツの「文化の解釈学」において知られる<村の/での調査>論から「限定された局所性」、(3)E,ゲルナーの「アトラスの聖者」における「本源的部族主義」、これらの諸概念を取り上げ、批判的に検討した。それらはいわば、サンプリングや代表性という形で調査地の事実を位置づけることではなく調査地の社会・文化の事実をあくまで単体として扱うあり方の可能性を主張するものだった(単体主義)。

いうまでもなく、これはグローバリゼーション研究に於いて所与の前提となっている<外部社会と局所社会の位相>という視角の否定ではあるが、外部性や包摂性に依拠せずに、研究対象を際だたせ分析することを積極的に行おうとする人類学的知の可能性を確認する作業が必要なのである。外部世界との包摂性を単純に無視するのではなく、無視することによって可能な研究展望をいかに切り開くことが可能なのか、無視しながらも明らかにしたい研究課題を我々は獲得することが可能なのか、その問い=課題を持つことこそが現在の人類学に必要であると主張した。