第6回コロキアム 「グローバリゼーションと人類学の可能性」

「グローバリゼーション時代における農山漁村の可能性」
 飯田 卓(国立民族学博物館准教授)

アフリカの東の海上に位置するマダガスカルは、1990年代以降、グローバルな政治経済の動きに同調したあたらしい波(多党制化と自由主義化)に洗われてきた。南西部の漁村でも、貿易量が拡大するのにともなって、中国や東南アジアに輸出されるナマコやフカヒレが多く生産されるようになり、漁家経済はうるおい、グローバリゼーションの恩恵を受けているかにみえる。

しかし、グローバリゼーションの局面は、こうした所得向上だけにとどまらない。発表では、グローバリゼーションとは関係が薄そうにみえる漁法開発の側面に着目した。そして、モダンな諸変化に対して脆弱であるかにみえる漁村が、グローバルなモノのフローを能動的に活用しながら自律性を維持していることを明らかにした。

とりあげたのは、①1998年頃に普及した木製銛銃、②2003年頃に普及した木製イカ疑似針、③導入時期は不明だが2008年頃に目撃されたゴムタイヤ製地曳網、④2008年頃に普及した電灯潜り漁である。①は、従来からおこなわれていた木工の技術をふまえ、入手しやすくなったゴムタイヤを活用して製作されるようになったものである。その製作法はきわめて早く普及したため、誰が最初に製作したかを特定することすら困難である。誰もが身につけていた木工の技術を用い、誰もが身につけていた潜り漁に活かすために、ゴムタイヤの活用法が見いだされたのだといえる。

同じように、②は、やはり木工の技術をふまえて、仲買人がもちこんだ金属製部品を活用して製作されるようになったもの。③は、地曳網漁の製作法をふまえて、針金を含んだゴムタイヤの層から丈夫な繊維を作りだして製作したもの。④は、夜になると変化する魚の習性と潜り漁をふまえ、白色のLEDランプにコンドームをかぶせておこなうようになったものである。いずれの場合も、旧来の知識や技術をあたらしい素材や道具と組み合わせながら、漁撈という実践に役立てている。

個々の漁師は、こうした発明を家計収入の増加に結びつけた。そのこと自体、不確実な経済状況に対処する能動的な行為ではあるが、漁師の能動性はそれだけにとどまらない。あたらしい漁法を見よう見まねで習得し、短時間のあいだに沿岸部一帯に広められたのは、新漁法の基礎となる実践(各種の漁法や木工など)を漁師たちが広く共通におこなっていたからである。漁師たちは、もともとはグローバルなフローに乗じて紹介されたモノを資源として、漁師なかまのあいだであらたな情報フローを生成し、そのことによって漁師なかまにおける技術の共有と共同性を強化した。このような現象は、明らかにグローバリゼーションのひとつの帰結である。特殊な技能に依存しつつ共同体を成り立たせている事例では、グローバリゼーションがその共同体を活性化することがあるのである。

ひるがえって日本の農山漁村をふり返ると、人口流出が著しい。ときには、そうした人のフローがグローバリゼーションにうながされているかのような解釈もなされる。しかし、マダガスカルの事例で明らかなように、グローバルなフローが農山漁村を活性化することもある。日本の多くの農山漁村でなぜそれができなかったのか、それを実現するための条件は何かなど、考えるべきことがらは多い。グローバリゼーションにまつわる言説は、農山漁村の人口流出を自明なものと見せかけがちだが、そうした言説に惑わされることなく、さまざまな地域の事例に目を向ける必要があろう。