第5回コロキアム「フィールドサイエンスと空間情報科学(3)」

「中東・北アフリカと市の保全再生学:技術と地域のこれからの関係」
 松原 康介(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

歴史都市の保全再生とは、狭義の歴史的建築物の修復だけにはとどまらない。当該建築物を中心に、関係する建物群や組織、あるいは自然などによって有機的に構成される、一つの全体としてのまとまりを、景観として、あるいはシステムとして、継承し活性化させることが目標である。歴史的な町並みや人々の生活そのものが対象となるわけで、物理的には地区や街区、あるいは街路など、ヒューマンスケールのレベルで問題に取り組むのが一般的である。物理的な単位こそ小さいものの、そこで必要とされる情報は多岐に渡る。

こうした意味での歴史都市の保全再生を、中東・北アフリカ地域において行うということは、複雑さや稠密さで知られる、極めて歴史の古い旧市街と向き合うことに他ならない。わが国でも各分野で蓄積されてきた成果を踏まえ、一つ一つの都市の固有性を見極めながら、限られた計画技術を適用していかねばならないのである。

一例を紹介したい。モロッコの古都フェスの旧市街は、19世紀までに8万人程度で安定していた人口が、20世紀の半ばに3倍近くになるという経験をした。そこで現代では、旧市街に条件付ながら新たな道路を通すことによって、過密化を緩和するとともに利便性を向上させる試みがなされている。当然ながら、旧市街の一部を破壊することと引き換えとなる。こうした試みは、古くは19世紀のジョルジュ・オスマンのパリ改造から、現代における東京・下北沢の大型道路「補助54号線」建設まで想起させる、近代都市計画の一般的な手法である。しかし、一見迷路状でありながら、実は優れた秩序を持つフェスの旧市街に対し、一般的な計画手法をそのまま適用すべきかどうかは疑問が残る。

このような計画を綿密に評価・検討するために必要となる空間情報は、古地図と計画図、それにフィールドで実測してきた調査図をもとに構築する。更にJICAが作成した詳細な利用現況図からは、記念碑的で観光名所でもある大規模モスクだけでなく、小さくても近隣住民の日常的な祈りの場として生きている小モスクの存在を正確に把握できる。人類学者ル・トゥルノーが書き残した旧市街のデッサンも、重要な歴史の証言だ。これらの様々な空間情報を統合することで、かつての旧市街のあり方、道路建設に伴う創出と喪失、そして現代の旧市街のあるべき姿が、総合的に解析可能となる。すなわち、保全の視点から見えてくるのは、利便性の向上と引き換えに生じた、フェス川の暗渠化、スーク(市場)の分断、袋小路の通路化といった、旧市街の生活を成り立たせていた景観やシステムの喪失に他ならない。

しかし、過密化や老朽化といった課題がある以上、古いものの喪失を嘆くだけでは、もっと深刻な都市問題を招来してしまう。継承と活性化を両立できるよう、計画手法をフェスに固有な空間特性に合わせて改善していくことが次の課題となる。

そこで代替案を考えていくわけだが、ここではより広域の空間情報を組み入れねばならない。旧市街を含む、都市全体における交通・輸送体系、人や物の流動データ、更には、過密化の直接の原因である離村農民の定住地立地傾向などを総合的に勘案して、旧市街を都市全体にどう接合していくかを考えるのだ。

GISを用いた空間利用分析からは、計画道路が迂回すべき景観・システムとして重要なエリア、また、倒壊住宅地区、あるいは間に合わせで作られた廉価住宅地区など、比較的再開発に適した土地が散在している状況が浮き彫りとなる。それらを巧みに繋ぎ合わせ、最善の経路選択を目指すことで、より都市の動態に即した計画手法となりうるわけだ。この際、道路はパリのように明晰でまっすぐではないかもしれない。むしろ所々でいびつに曲がっていたり、幅員が異なっていたりしても構わない。それこそが、従来の工学的な一般性から逸脱しながらも、絶えず進化する地域の固有性に適応した、新しい技術のあり方を示しているからである。新たに創出された道路空間には、公園や広場、あるいはこれまで旧市街には見られなかったオープン形式のカフェが出店することで、旧市街の真ん中でありながらどこかフランスの都市空間の影響を感じさせる、いわゆる空間の重層化が進展している。

中東・北アフリカ都市の保全再生は、このように従来の学問領域を横断する幅広い視野と、フィールドに密着した情報収集をもとにして、総合的な視点から歴史都市の未来をデザインする営みである。個別の時空間に生きる人々を重視する、学際性と総合性がともに要求される研究領域なのである。