第14回コロキアム ワークショップ「データと論文の間―フィールドサイエンスにおける論証とは」

「辺境で気づいた Life in the slow lane」

長沼 毅(広島大学 大学院 生物圏科学研究科)

 私の専門は微生物生態学である。文字通り微生物の生態を扱うものだ。生態のほうはよいとして、問題は微生物である。かんたんに言えば「小さな生きもの」で1000分の1ミリほどの単細胞生物であることが多い。これすなわち「小さな世界の生きもの」であり、私は「life in the small world」と洒落ている。私たちがsmall worldというとき、それは「世の中って狭いね」という気持ちなのがふつうだろう。海外で初めて会った人なのに、話しているうちに共通の知人がいたり、同じ場所で同じ経験をしていたりして驚くことがよくある。微生物もそうで、地球のどこに行っても同じ微生物に出会うことが多い。そういう“どこにでもいる微生物”を私はコスモポリタンと呼んでいる。

 コスモポリタン微生物を調べる者は意外と少ない。逆にいうと、その土地、その場所に固有の微生物を扱う者のほうが圧倒的に多い。まず、自分のフィールドを見つけたら、徹底的にそこを調べれば必ず新種はいるし、そもそも“そこだけ”に行けばいいから慣れてくるし、また、論文も量産しやすい。それに対し、コスモポリタンを扱うには自分が行ったことのない辺境まで行かねばならないし、実は自分がその微生物を持ち歩いているのではないかという疑念を払拭せねばならないし、そもそもその微生物は新種でも何でもない、よくいる微生物なので新鮮味はないし、論文も数年に一度しか書けない。でも、黄砂やエアロゾルの長距離移動にともなって病原菌などがコスモポリタン的に広がる可能性が指摘されてから、この研究が流行しはじめた。私もそのブームの火付け役の一人になったのではないかと、独り言ちている。

 私が辺境――深海、地底、南極・北極、砂漠、火山・高山など生きものが少なそうな極限環境――に行くようになったのは、コスモポリタン探しのためではない。むしろ、それは研究の副産物のようなもので、主目的は“極限的条件でも生きていける極限的な生きもの”を探すためだった。海底火山で100℃を超える高温や南極氷床の低温、アルカリ湖や酸性温泉、塩湖などなど、それぞれに耐性や適応性を特化させた微生物が住んでいる。それらを研究するには、環境サンプルからDNAを抽出して分析するという半ば化学的なゲノム解析でも良しとされているが、生物学的には試験管の中で純粋培養するのがいちばんだ。しかし、それはとても難しい。環境中の微生物の大半というかほとんどは「生きているけど培養できない」viable-but-non-culturable(VBNC)との烙印を押されているのだ。それで微生物生態学者は結局、環境DNAのゲノム解析(メタゲノム)か“培養しやすい微生物”の周りに集まることになる。

 私は自分が天邪鬼なせいか、“培養しにくい微生物”を培養しようと思うようになり、他人がしないことをしはじめた。たとえば、海底火山の高温熱泉の微生物を仲間がフィルターで濾過して採ったあと、濾液(いわゆる“フィルター除菌済み”の水)をもらって、そこから微生物を培養したこともある。それは今日では「ナノバクテリア」極小微生物として、新たな研究対象になっている。

 こういう変なサンプルから変な微生物を培養するためのコツは「ゆっくり増えるもの」を狙うことだ。科研費の基盤Cで「ゆっくり増える菌」という研究課題が採択され、じっくり腰を据えて調べることができた。その結果、ゆっくり過ぎて科研費の期間終了から2年経ってようやく論文発表に漕ぎ着けることができた。今年10月にプレスリリースしたのだが、サハラ砂漠から採った微生物がかなり高いレベルの新分類群をつくったのだ。それは新種どころか、属・科・目を超えて、綱(こう class)のレベル、つまり、新綱だった。綱はたとえば哺乳類と魚類を分けるレベルである。

 ただ、サハラ砂漠(チュニジア)由来ということで、生物多様性の「名古屋議定書」における原産国の権利云々というのに引っ掛かるので、国内法はまだないが、できるだけの方策を講じたのに時間が掛かった点は否めない。つまり、微生物がゆっくりである以上に、ヒューマン・ファクターがゆっくりだったのだ。

 それはさておき、私はだんだん「自然界の微生物のほとんどはゆっくり生きている」と考えるようになってきた。ひょっとしたら、一人の研究者の人生時間よりゆっくりかもしれないし、そういうものは原理的に(個人では)研究不能だし、そんなものを相手にしていては論文が書けない。だから、私も含めて多くはlife in the fast lane(高速車線の生命・人生)を狙ってきたし、そう生きてきた。しかし、私はせっかく天邪鬼なのだから、逆を張って、life in the slow laneを狙い、自分もそう生きてみようかと思っている。