第12回コロキアム 「紛争状況下における/のフィールドワーク:人類学・地域研究の現場から」

「パレスチナ/イスラエルにおける研究と政治―紛争下のフィールドワークとポジショナリティ―」
 錦田 愛子(東京外国語大学 AA研)

 現在も継続する紛争の状況下でフィールドワークを行なうには、リスク管理や特別な準備の必要など技術的困難と、研究内容そのものに関わる政治的な困難とがつきまとう。本報告ではそれら両面について、最近のフィールドワークの経験をもとに報告した。

 最初に報告者がフィールドワークを行なった時期と場所について、概要の説明を行なった。筆者が調査を行なう地域は、20世紀前半にイギリス委任統治下でパレスチナと呼ばれた地域で、現在はイスラエル国が実効支配をしている。これらの地域を本報告ではパレスチナ/イスラエルと呼ぶ。その内部は、パレスチナ自治区とされる西岸地区とガザ地区、およびユダヤ系住民が過半数を占めるイスラエルの地域とに分かれる。報告者はその両地域において、特に2003年以降、フィールドワークを行なってきた。パレスチナ/イスラエルの安定度は、2000年の第二次インティファーダ勃発以後、政治情勢により大きく左右されてきた。2005年のパレスチナ自治政府大統領選挙実施から2006年にかけては、政治的、治安的にも比較的安定した時期だったといえる。その後は、治安状況は改善したものの、政治的には厳しい分裂状況が報告時点でも続いている。

 こうした中、ガザ地区・西岸地区の大半と難民キャンプは、治安上注意すべき地域に指定され、イスラエル政府によってもユダヤ人には立ち入り禁止区域とされてきた。だが実際には、それらの地域にも地元住民の日常生活が存在し、直接の衝突の場面に遭遇しない限り、身に迫る危険を感じるような状況ではない。また紛争の性質上、衝突の起こりやすい場所はかなりの確率で予測が可能である。重要なのはむしろ、政治情勢の動きを正確に理解し、頻繁に情報収集を行なうなど、調査を実施する上での常識的な対応だといえる。

 続いて、パレスチナ/イスラエルで調査を行なう際に役に立つ、トラブルの類型やリスク管理の具体的な方法について報告した。紛争をかかえる地域では、政治情勢が急激に変動することがある。そのため、予定していた約束通りに人と会えなかったり、予定の経路では移動できなかったりといった状況が発生する。政治対立に巻き込まれ、純粋に学問的目的で渡航しても入国審査でトラブルに見舞われる可能性もある。そうした際に重要になるのは、現地の関係者との連絡手段の確保であり、臨機応変に予定を変更するなどの対応を迫られることもある。予め余裕をもったスケジュールを組み、トラブルに対策を立てることが重要だ。国際機関やNGOなど異業種の人とのネットワークを構築することも、大きな助けとなる。

 研究内容の面では、パレスチナ/イスラエルは世界的に認知度の高い紛争であるだけに、政治的に複雑な問題点も抱える。パレスチナ自治区の経済や社会が、長年にわたる国際支援により支えられてきたため、パレスチナ人の多くはマスメディア、NGO、国連、大使館といった組織に所属する外国人に接し慣れた側面があるからだ。それらの類型に当てはまらない研究者の存在は、なかなか理解を得づらい。また支援運動から状況調査へ、さらに研究へと転じる人の数も近年では増加しており、研究者の立場もイスラエル寄りのものか、パレスチナ寄りのものか、立場選択を迫られる傾向にある。両者の中間に立つのが必ずしも望ましい中立を意味するものでないことは言うまでもないが、研究者として厳しくポジショナリティを問われることは事実である。また博士号を取得した研究者は、当事者から専門家としての意見表明をときに求められる責務を負うことになる。報告者は、当該社会から一定の距離をおいた日本を出身とする研究者として、果たしうる独自の役割を模索してきた。当事者では難しい調査や、異なる視点からの研究成果を報告したこともあるが、必ずしも歓迎されるわけではない。紛争の長期化とともに、対立の構図も複雑化しており、研究者が果たしうる役割は容易に明らかにはならないが、今後も自身の立場を問い続けながら、研究を進めていきたい、と述べて報告を締めくくった。