第12回コロキアム 「紛争状況下における/のフィールドワーク:人類学・地域研究の現場から」

「After the Fact
  ―ソロモン諸島の「民族紛争」を事後的に調査・再構成する歴史人類学の展望と課題」
 藤井 真一(大阪大学大学院人間科学研究科)

 本報告では、紛争を研究対象としてフィールドワークを行なうことがもつ課題と可能性について、紛争後のソロモン諸島社会において実施している報告者自身のフィールドワーク経験を交えながら提示した。そのために、まずソロモン諸島にて生じた「エスニック・テンション」と呼ばれる武力紛争の背景や経過などの概略を紹介した。そして、紛争当時の資料(口述・文献)を収集・分析する際に報告者が経験した困難や、紛争後の社会再構築の場面においてフィールドワークをすることの難しさについて話題提供した。

 ソロモン諸島では、1998年末から2003年までの間に、首都ホニアラを抱えるガダルカナル島を主要な舞台として暴力的な武力衝突が生じた。紛争の主要なアクターとなったのは、ガダルカナル島出身の人びとと、マライタ島から移住してきた人びとならびにその子孫たちであった。この紛争の背景として次の3点が挙げられる。第一に、第二次世界大戦を契機に首都がガダルカナル島へ移転されたこと。第二に、首都建設のためガダルカナル島以外の島(特にマライタ島)から労働者が移住してきたこと。第三に、首都建設により雇用機会と経済発展がガダルカナル島に偏ったこと。

 マライタ島出身者の移住に伴う慣習的土地所有の侵犯や雇用機会の喪失はガダルカナル島民に不満を募らせ、ガダルカナル島に集中する雇用と現金獲得の機会はマライタ島出身者に不満を抱かせた。双方の潜在的な対立が暴力的な武力衝突として発現したのであった。当初はガダルカナル島を舞台としてガダルカナル側がマライタ島出身者への排斥行動を行なうという一方的な状態であったが、紛争の激化に伴ってマライタ側の報復行動が始まり、2000年6月のマライタ側による首都占拠以降は治安の悪化に伴う社会不安がソロモン諸島全域に拡大した。この社会不安状況は、2003年7月にオーストラリア主導の治安維持部隊が到着するまで続いた。

 報告者は、紛争終結から時間が経過した2009年からフィールドワークを開始し、紛争の背景と経過を調査して歴史を再構成することから調査を始めた。2011年には、真実和解委員会の活動を対象に、紛争後の社会再構築がいかにしてなされるのかを調査した。報告者の臨地調査の過程で直面した困難を次の2点に整理して報告し、問題提起を行なった。

 第一に、調査者の位置取りの問題である。いずれかの武装勢力に偏ることなく総合的に紛争を理解するためには、分断された民族の間を彷徨う必要がある。言い換えれば、ソロモン諸島の紛争を研究するにあたって、紛争の主要な舞台であったガダルカナル島でのフィールドワークは不可欠である。一方、紛争に関連するさまざまな文字資料(特に紛争後の社会再構築に関わる資料)や紛争解決に関わるアクターなどは首都に集中している。依然としてマライタ島出身者が多く暮らす首都とガダルカナル島村落部とを往還することは、使用言語の複数性のみならず信頼関係の構築においても困難が生じる。報告者は、双方の主要言語を習得し、併用しながら調査を行なうという方策をとって対応している。

 第二に、史資料収集と資料の取り扱いをめぐる問題がある。紛争当時のソロモン諸島はさまざまな面で機能不全に陥っていたため、当時発行された文字資料を参照することは困難である。首都が占拠されて以降は、首都から発信される新聞やラジオなど報道の中立性も疑わしい。その一方で、現代の紛争では、紛争解決および紛争後の社会再構築に際して国内外の多様なアクターが関与し、それらによって著された膨大な文字資料が遍在する状況に陥っている。このような状況を鑑みると、紛争を事後的に調査・再構成するにあたって、フィールドワークから得られた口述史資料の有用性が見出されるとともに、文献資料と口述資料とを照合して検討する厳格な史料批判の必要性が立ち上がってくるであろう。